日本人は地域のダークサイドに無関心すぎる 「悲しみの土地」を観光することで見えるもの

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なぜそのような場所に興味を感じたのかはよくわからなかったが、訪れるたびに、「忘れないでおこう」という気持ちだけは強く持つようになっていった。非業の死を遂げた人々の無念の思いを受けとめ、大学という場で若い人たちに伝えていくだけでも、「何らかの価値」はあるのではないかと思っていた。大学という世界で働いて17年になるが、長いことこの「何らかの価値」の正体がわからずにいた。もう少し掘り下げて考えてみよう。

「忘れられる」という2度目の死

防災の世界では、しばしば「人は2度死ぬ」というフレーズが語られる。肉体的死が1度目の死であるのに対し、その人を知る人がいなくなってしまうことを2度目の死と呼ぶ。「2度目の死」は多重的な意味を持つ。畑中章宏『災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異』(亜紀書房)では、洪水の多い地域に「蛇崩(じゃくずれ)」や「蛇谷(じゃだに)」という地名が多いことを指摘している。私も日本各地の自然災害の跡を訪ねたが、そこにはひっそりとお地蔵さんが置かれていることも多い。開発の流れの中でこうした地域の地名が変更され、お地蔵さんが除かれてしまったらどうなってしまうだろうか。

それは、この地で生き、この地で死を迎えた人の記憶を地域が失ってしまうことを意味する。つまり、「2度目の死」が起きてしまっているのである。そうなるとここに住む人々は、以前よりも災害を恐れなくなってしまうだろうし、何より備えを怠ることになりかねない。その結果、久方ぶりに豪雨があると、現住する人々は予想もしなかった新たな死を迎えることになる。

悲しみの記憶を失うことは、生死の問題以外にもさまざまな弊害を生む。拙著でもハンセン病にまつわるダークツーリズムを詳しく取り上げているが、私たちは何ら科学的根拠もなく「ハンセン病」という病歴を持った人々を差別してきた。この問題についても、自分たち自身への問いかけが欠けていたと考えることもできる。

福島県浪江町から望む福島第一原子力発電所(写真:ArtwayPics/iStock)

勉強や学びなどという言葉を大上段に振りかざさなくとも、悲しみの場に赴き、そこで過ごすのであれば、心に何かがしみ始める。悲劇の記憶を辿ることはつらく苦しいことかもしれないが、こうした経験を重ねるうちに、自分の命が驚くほど多くの偶然によって支えられ、何者かに生かされているという感慨を持つようになる。福島第一原発の事故の後、北関東のホテルで福島ナンバーの車を拒むなどのいわれなき差別が続発した。放射能に対する科学的無知が、被災者を拒絶するという、あってはならない状況を生み出してしまった。私たちが、社会としてハンセン病に関する悲しみを承継できていれば、このような事態は避けられたのかもしれない。

多くのダークツーリストたちとの交流を踏まえてかんがみると、この時、ツーリスト自身に内的なイノベーションが起こり、自分の人生を大切に思うようになってくる。そして、今ある自分の命を何らかの形で役立てたいという気持ちも湧き上がってくるのである。

人間にこのような再生の機会を与える旅として、ダークツーリズムは非常に大きな可能性を有している。にもかかわらず、我々日本人は、これまであまりにも地域のダークサイドに対して無関心に生きてきたのではないだろうか。むしろ、あえて無視し続けてきたと言っていいかもしれない。

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