曲直瀬道三が日本医学「中興の祖」である理由 「医」で日本を制した戦国名医の功績

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山崎:この「啓迪院」で道三の教えを受けた門人たちは「後世方派」と言われ、江戸時代の医療の主流を形成していきます。また、彼らは医療知識だけではなく「医の倫理」を非常に重視していました。道三がつくったとされる「医の57則」というものがありまして、その第1の則として「慈仁」を挙げています。「情け深いこと」「相手を思いやる心」が大事だと。現在にも通じる医の倫理の原型をつくったことも功績のひとつと言えるでしょう。

曲直瀬以降の日本の医学

秋葉:医学の世界を広げたという意味では、初代の道三はもちろん、後を継いだ2代目の玄朔の功績も立派だったと思います。玄朔は道三の実の子ではなく養嗣子ですが、彼が実に優秀だったのですね。

初代の道三は仕官を好まなかったというか、どこにも一党一派に偏しない。これはまさに戦国の気風で、誰の下にも従わない、つまりパイオニアとしての自負がそうさせたのでしょう。しかし、次の玄朔は道三がつくった下地をフルに活かして、幕府やら大名の要所要所を占めていくことで、道三の流派を大きくしていったんですね。

山崎光夫(やまざき みつお)/作家。1947年福井市生まれ。早稲田大学卒業。TV番組構成業、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年「安楽処方箋」で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。主な著書に『ジェンナーの遺言』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男』『日本の名薬』『薬で読み解く江戸の事件史』ほかがある。1998年『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている(撮影:尾形文繁)

山崎:大山脈を形成しましたね。それは今日まで続いています。

秋葉:漢方の歴史を見ているとわかるのですけれども、弟子がしっかりしていて力があると、その師匠の名は残る。どんなに偉くても、弟子の出来が良くないと残らないんです。逆に言うと、名を馳せた師匠にはいい弟子がいたと言ってもよい。

山崎:なるほど。学問の世界にはそういう流れがあるのですね。

秋葉:すこし話は変わりますが、江戸の初期、中国では明が北方の満州族に滅ぼされます。そうした混乱の中、日本に多くの文化人が亡命してきています。医師などは最たるもので、多数の医師たちが日本に逃げてきて長崎あたりに逗留していたんですね。

その一人に馬命宇という有名な医師がいまして、彼は1600年代の前半だと思うんですが、先行きを悲観して日本に来たのでしょう。たぶん、その彼が持ち込んだ『万病回春』という医学書は、当時、中国でも最先端の医学知識がまとめられた書でしたので、彼らの存在が江戸期に入って医療の向上に与えた影響は大きかったと思います。もちろん医療だけではなく、中国の明という大帝国が築いた一種の円熟した文化が多数日本に伝わったことが、数十年の年月を経て元禄などに花開いてくるわけです。

――当時、薬の原料などはやはり中国や朝鮮から輸入していたのでしょうか。

秋葉:ほとんど輸入だったようですね。ただ、輸入品はどれも高価なので、ほかのもので代替するようになるんですね。よく講談などでは町のお医者さんが人参などを使ったりしますけれども、実際のところ、人参は高価で使えないから代替品を使っていたようです。

ところが、吉宗の時代、朝鮮で種を入手してきて、それを全国の大名の薬草園に配るんです。まさにお上が下賜くださった人参ということで、それで日本では薬用人参のことを「御種人参」と呼ぶようになる。そして、吉宗の治世から100年後には、日本の国内で育てた人参を輸出するくらいにまでなるんですね。

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