天皇のお言葉に秘められた「烈しさ」を読む 日本史上の危機に何度か発せられてきた符牒

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白井:そこで私は大股で右と左の両方を歩いてみせようと思ったんです。右であれば、天皇のお言葉をしっかり受け止め、その真意をつかまなければならない。しかし、右のほうでここまで踏み込んだ解釈をした人を私は知りません。だから、『国体論』は誰よりも右翼的だと思っています。

他方、日本の左翼の基本思想は天皇制批判です。ところが、現在の天皇制を批判するためには、皇居にいる天皇を批判しても批判になりません。なぜなら、今や天皇制の本丸はワシントンにあるからです。『国体論』ではこのような天皇制の実状を摘出し、正面から批判しました。そういう意味では、『国体論』は誰よりも右であり、誰よりも左であると思っています。

象徴天皇制の本質

白井:戦後、象徴天皇制について言われてきたことは、大まかに言って2通りあったと思います。

1つは穏健保守派の言説です。それによると、そもそも日本の伝統では天皇は精神的権威であっても権力ではなかったのであって、それを結びつけてしまった明治レジームが例外的だった。だから、象徴天皇制は、日本の伝統に適合するものであり良いものだということになる。他方、左派は、「象徴」となっても依然として天皇は危険なものである、と批判してきました。

國分 功一郎(こくぶん こういちろう)/哲学者。1974年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専攻は哲学。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。おもな著作に『中動態の世界』(医学書院、小林秀雄賞受賞)など(撮影:恩田陽)

『国体論』は、この2つのタイプの言説両方への批判でもあるのです。左派の天皇制批判は、昭和ファシズム期の記憶が生々しい時代には強いリアリティを感じられたでしょうが、段々とかかしに矢を放つようなものになってきた。天皇の権威をわずかでも上げるような動きがある度に「あの時代に戻ってしまうぞ!」と怒鳴るけれども、到底実感が湧かない。

他方、穏健保守派の象徴天皇制肯定論は、日本人にとって天皇が永久に精神的権威であり続けることを自明視している。このことは、昭和天皇が大元帥から「平和国家日本」の象徴へと転身したことと、それが裏面で必要としたこと(米軍の駐留継続)の意味を見過ごしたこととつながっているのでしょう。「私たちが愛する天皇の本心が理解されてよかった。これからは平和のシンボルになっていただくのだ、メデタシ、メデタシ」と。

彼らによれば、象徴天皇制によって天皇は本来の在り方に戻るのですから、無傷で生き残ったどころか、正しい伝統に復帰できたということになる。天皇の名によって行なわれた戦争で大敗したというのに、こんなに虫の良い話があってたまりますか。

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