天皇のお言葉に秘められた「烈しさ」を読む 日本史上の危機に何度か発せられてきた符牒

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國分:テレビを見ていて、動けなくなりましたね。僕は天皇について考えたことがあまりに少なかったので、白井君のような言葉は思いつきませんでした。しかし、言われてみれば、自分も天皇の姿に烈しさを感じていたのではないかと思います。白井君は『国体論』を通して、人々が感じ取っていたものに言葉を与えてくれたのではないでしょうか。

僕は天皇制全般については立場が定まらないところがあるのですが、白井君の言葉を借りるなら、今の天皇に人間として共感しているところはあります。たとえば、今の天皇ほど熱心に福島を訪問している人はいませんよね。小泉進次郎氏が何度も福島を訪問していると言われていますが、元南相馬市長の桜井勝延氏にお会いしたとき、小泉氏は桜井氏のところには一度も来たことがないと言っていました。天皇のやっていることはこうしたパフォーマンスとはまったく違います。

「お言葉」は危機の深さを示すシグナル

國分:その一方で、日本は危機に瀕したとき、いつも天皇に頼ってきたのではないか、今回もまた頼るようではダメなのではないかという気持ちもあります。白井君も今回のお言葉を、後醍醐天皇による倒幕の綸旨や孝明天皇による譲位決行の命令、明治天皇による五箇条の御誓文、昭和天皇の玉音放送などの系譜に連なるものだと論じていますね。

もちろん白井君が天皇主義者だとは思わないし、そういう誤解がなされないように議論を展開していますが、こうした構造が繰り返されることについてはどう思いますか。

白井 聡(しらい さとし)/政治学者。1977年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。博士(社会学)。専攻は社会思想、政治学。京都精華大学人文学部専任講師。おもな著作に『永続敗戦論』(石橋湛山賞、角川財団学芸賞受賞、太田出版)、『属国民主主義論』(共著、東洋経済新報社)など(撮影:恩田陽)

白井:現在の危機を突破するために天皇に頼ってしまうのはまずいのではないかというご指摘は、まさにその通りです。私も「尊皇絶対」や「承詔必謹」を口にする気はさらさらありません。誤解が生じないように言っておくと、「お言葉」があったから『国体論』を書いたわけではない。「お言葉」の前から執筆プランは具体的に頭の中にあって、準備も進んでいた。

そこへあの「お言葉」が出てきた。天皇自身が危機感をあらわにしたことによって「自分の考えてきた方向性は間違っていない。急がねば」と思いました。「アメリカが事実上の天皇として機能する」ことによって最も立場を失うのは天皇その人ですから、天皇こそが最も強く危機感を持つのが当然でしょう。

「お言葉」は、ひとつのシグナルだと思うのです。天皇の言葉を錦の御旗にして進もうという話じゃなく、日本の歴史上何度か発せられてきた、危機の深さを明示する符牒であると。

とはいえ、お言葉を肯定的に論じている以上、「天皇の政治利用につながる」と見られる可能性はある。ただ、それに対して、「私は右でもなければ左でもない」と言うのは嫌なんです。

國分:ああ、その点については面白い言い方があって、右でも左でもないところを歩いていたら、道の真ん中で車にひかれてしまうんですよ。

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