「直木賞」の過剰評価にイラッとする人の目線 むしろ受賞後こそ作家の力量が試される
もちろん先人たちも愚かではない。創設が発表されて以降、実にさまざまな人たちが、両賞だけが手厚く報道される状況に違和感や批判を表明。この偏った環境を変革しようと意見を述べてきた。
特に1980年代ごろまでは、芥川賞に対する過剰な取り上げ方が目立ち、選考委員である川端康成や遠藤周作などが、「芥川賞はそんな大層な賞ではない」と、選評でしばしばくぎを刺すほどだった。
それでも、反省の色を見せるような殊勝なマスコミは少なく、結果は現在ご覧のとおり。むしろ最近は、両賞に注目が集中することを問題視する傾向は弱まってきている。世間の目が少しでも文芸出版界に向くチャンスを、わざわざつぶしたがる変人などいないということは、出版業界の人と話していると強く実感する。なにぶん出版界は全体的に景気が悪い。1年に2回、定期的に話題になる希有な文芸ニュースとして、両賞には存在感を示してほしいと考えている人はずいぶん数多くいる。この状況はしばらく変わらないだろう。
受賞者たちが手に入れるもの
昔の話はともかくとして、現実にいま、直木賞の受賞から生まれる効果は絶大なものがある。名誉。栄誉。それは言うまでもないが、目に見える具体的メリットも大きい。小説を書くことや、書かせることが仕事の人たちにとって、魅力的な勲章であることは間違いない。
この賞は、公益財団法人日本文学振興会という文藝春秋の関連組織が主催している。第6回までは、文藝春秋を経営する菊池寛・佐佐木茂索たちの結成した直木賞委員会が主催し、その後も基本的には同社が運営しているが、主催者が正式に受賞者に贈るものも、創設からあまり変わっていない。正賞の時計と、副賞の賞金(創設時は500円、現在は100万円)。そんなところだ。
始まった当初は同社の雑誌「オール讀物」に作品を一篇掲載することができるという特典も明記されていた。だが、いまでは無実化している。直木賞の場合、候補に挙がるような人たちは、日頃から商業誌で活躍する職業作家がほとんどで、「雑誌に掲載される権利」ならば、みんなすでに持っている。もはや特典になりようがない。
正賞や賞金はそれほどではない。やはりこの賞を特徴づけているのは、副次的な恩恵のほうだと言っていい。いくつか例を挙げてみる。
2. 特に受賞直後は、新聞、雑誌、テレビなどから、さまざまな取材依頼が舞い込み、顔や名前の露出が増える。
3. 主戦場の小説誌だけではない。その他のあらゆる媒体で、小説、エッセイほか、原稿を発表する場が広がる。
4. 受賞作とともに、それまでに出版された単行本や文庫などが売れて、増刷がかかる。
5. 出版界を超えて、一般社会のなかで「作家」として認められる。受賞するとたいてい、出身地やゆかりの地の自治体から表彰されるのは、その一例だろう。
なぜ、そういう恩恵が生まれるのか。言うまでもなく、「直木賞はメディアに取り上げられて注目を浴びるから」だ。
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