東京東部から病院が消えていく--看護師不足が招く経営危機
東京都葛飾区で民間病院が次々と姿を消している。
2006年7月末に128床の療養型病院が入院病棟を閉鎖して無床診療所に切り替えたのを皮切りに、07年には99床の一般病院が突如、廃院に。さらに今年9月30日には52床の病院が病棟を閉鎖し、外来のみの診療所に規模を縮小した。
これら三つの病院のうち、後の二つの病院が建物を構えていたのが、JR総武線新小岩駅北口地区だ。両病院は至近距離にあり、昨年に廃院となった病院は解体工事を終えて、マンションの建設用地に。9月末に病棟を閉じた病院では2階から上の窓にカーテンが引かれ、現在は1階の外来受付のみに規模を縮小している。
追い出された入院患者 スタッフ不足が致命傷に
看護師として後者の病院に勤務していた山本千秋さん(仮名)は、病棟閉鎖による大混乱が今も脳裏から離れない。
「こんなことは二度とごめんです。患者や家族がかわいそうです」
病棟閉鎖の方針が職員に伝えられたのは9月15日午前9時前。業務開始前の朝礼で、院長から簡単な事実経緯が伝えられ、直後に職員は持ち場へと散っていった。病院が修羅場と化したのは、そのときからだった。
「9月末までに入院患者全員を転院または自宅に帰すこと」
このとき、山本さんは業務命令を受けて、入院患者の家族と面談。病院の方針を徹底させる役目を担わされた。自宅に帰すことができる人は自宅へ帰ってもらう。そして都内や千葉県の病院に片っ端から電話をかけて引き取りを要請。患者の状態を説明したファクス送信状は、優に100枚を超えた。
「ファクスを送って返事を待ちますが、多くは連絡もありませんでした。最終的には9月30日までに全員を何とか振り分けましたが、高齢患者の長期入院は受けたくないという病院が多く、非常に難儀しました」(山本さん)。
山本さんが「二度とごめんだ」と思った理由はほかにもある。「請われてこの病院に来て以降の1年半にわたる努力が、すべて水の泡になったからです」(同)。
救急医療の経験が長い山本さんは、昨年4月にこの病院に来て、あぜんとしたという。常勤医師が院長を含む2人しかおらず、ほかの医師6人は非常勤だった。また、看護師も不足が著しく、国が定めた人員の最低配置基準すら満たしていなかった。
院内感染防止マニュアルの整備など、病院に義務づけられている取り組みの多くも行われておらず、「このままでは監督官庁から業務停止に追い込まれるのではないか」と山本さんは心配した。
そして、看護師確保に奔走する一方、病院として最低限必要なマニュアルの整備に取り組むなど、1年半にわたって懸命に働き続けてきた。ところが、その努力もむなしい突然の病棟閉鎖だった。