「夫に嫌われたら終わり」と気付き震撼した日 「認知的不協和」に我々はどう対処すべきか

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これを読んで、私はこれも認知的不協和と、それを修正した結果ではないかと感じた。最初から母親業に価値があると思ってそのために主婦になるというよりは(そういうケースももちろんあるだろうが)、主婦になってアイデンティティを再構築し、自己肯定感を保つために母親業に価値を見いだしていくわけだ。

実際に「親」という仕事は私だってほかの何物にも代えがたい価値があると思う。ただ、それに妻だけが傾倒していくことは、しばしば夫の関与を減らし、ますます「稼ぎ主」意識を強めるという性別役割分担の回帰につながる。

厳然と横たわる前提

米国の事例では、高度な専門職に就いている女性が短時間勤務では同様の仕事を続けられなかったことが指摘されている。それに加え、その夫たちも専門職で非常に多忙で、妻たちが夫のキャリアを優先させているという表現が何度も出てくる。

日本の場合、これに加え、そもそも子育て以前に、妻が夫を支えることを前提とする仕組みがある。日本で高度経済成長期に激増した「サラリーマン」という働き方は、専業主婦が子育てをし激務の夫を家庭で癒やし、職場や出張に送り込む。そうした妻の支えを前提として、家族手当が払われ、家族ごと会社が責任を負うような仕組みが企業の福利厚生や給与体系に盛り込まれてきた。

その最たるものが海外駐在員の働き方かもしれない。多くの海外駐在は、単身赴任者や独身者にとっても非常に負担が大きい。駐在する本人は、ほんの数カ月前に辞令を受け、行った途端に国内外に出張だらけということも珍しくない。見知らぬ地で生活基盤を整えること、日本にいる誰かに「あれ送って」「日本でこの手続きやっておいて」などお願いすることを含めて、実家や配偶者のサポートなしのセットアップは時に困難である。

インターネットもない時代に異国に引っ越してきた駐在員、そして家族の心労は計りしれない。そこでおそらく働く夫を支えてきたのが妻だったのだろう。だから、会社が家族の引っ越し費用も、手当も出す――。そして今も、そうしてもらっている以上、妻はやはり献身的であらねばならないと思い始める。

『「逃げ恥」にみる結婚の経済学』(白河桃子・是枝俊悟)は、団塊世代の主婦が夫に家事を一切やらせずに「靴下のありかもわからないようにしておく。私がいないとダメだと思わせる」ことが上の世代から学んだ生存戦略で、専業主婦の立ち位置を安定させるための方法だったと書いている。愛がなくなったとしても、経済的自立がなくても、主婦が夫に養ってもらう方法、それが家事(と育児)というわけだ。

しかし、こうした前提を取り巻く状況のほうはさまざまに変わりつつある。そもそも家族も丸抱えの終身雇用が崩れており、扶養手当、家族手当を持たない企業も増え始めている。政府も女性に外で働いてもらうための専業主婦控除の見直しの過程で企業の扶養手当も見直すことを呼び掛けている。そして、女性の側も働き続け、キャリアを追求する人が増える中で、必ずしも内助の功に徹することができなくなっている。扶養手当はいらないから、働きたいと願う人もいる。

長時間労働ができなければ戦力とみなさない企業、そして専業主婦の支えを前提とする転勤などの制度。これが結局、専業主婦になる人を増やすばかりでなく、専業主婦になった人の家事育児への献身……場合によっては高学歴でアイデンティティロスを激しく経験した人ほど反動としての家事・育児への傾倒を生んでいる可能性もある。

次回は、労働市場、主婦たちの働き方と賃金の話を考えていきたい。

中野 円佳 東京大学男女共同参画室特任助教

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なかの まどか / Madoka Nakano

東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社入社。企業財務・経営、厚生労働政策等を取材。立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、2015年よりフリージャーナリスト、東京大学大学院教育学研究科博士課程(比較教育社会学)を経て、2022年より東京大学男女共同参画室特任研究員、2023年より特任助教。過去に厚生労働省「働き方の未来2035懇談会」、経済産業省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員を務めた。著書に『「育休世代」のジレンマ』『なぜ共働きも専業もしんどいのか』『教育大国シンガポール』等。

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