つまり、「今このタイミングで、これ(家事・育児)は私の役割なのだ。夫はその分多く稼いでくるから家事育児で期待できないのは仕方ない。それに、私は彼の稼いできたおカネを使うのに遠慮しなくていいのだ」と思うようにした節がある。そのほうが明らかに、気持ちが楽になる側面があった。
シンガポールに来てから、「別に母親ばかりが全責任を負う必要はない」というこれまでの主張から自分の状況は“不協和”を起こしていたのだが、「もう育児は私がやる。私の役割」と腹をくくってからのほうがその状況にイライラしなくなった。
私の場合は仕事も開始しているが、人によっては駐在妻の場合はビザの問題や、法的には無効と思えるが夫の会社から実質的に禁止されるなどで働きに出るなどができないことも多い。国内にいてもさまざまな事情で専業主婦にならざるをえない人たち、タイミングがある。
あぁこうして、従来、性別役割分担の意識がなかった夫婦も、その道に入っていくのか。夫と子どもの世話をかいがいしくして、見た目も怠らず、夫に文句も言わない「ご機嫌」な、ファッション誌に出てくるようなすてきな主婦の一部はこうやってできていくのかもしれないと、身をもって体感した。
アメリカでも同じ現象が起きている
米国で10年前に書かれた『Opting Out?』(Pamela Stone著、2007年)という本がある。この本では、高学歴女性がなぜ専業主婦になるかという疑問から、もともと専門職で働いていた女性で今は専業主婦をしている女性たちをインタビューしていく。
私は『「育休世代」のジレンマ』(2014年、光文社新書)という本で、日本の総合職女性が子どものケアを担い、長時間働けなくなると、実質的にそれまでのような重い責任のある仕事を外されてしまい、意欲を冷却させるか退職するかに分かれていく状況を描いた。
Pamela氏の本は、同じように出産後に専門職から離れざるをえなくなった高学歴女性の現状を描いており、日本と非常に似たことが米国でも起こっていたことを物語っている。私は仕事を辞める、辞めないの選択がどのようにされていくのかに着目していたのに対して、Pamela氏は主婦になった理由とその後の状況に焦点を当てていく。
彼女たちの内面に迫った「Half‐Full, Half‐Empty」と表現された章では、子どもの成長に寄り添えること、休みには旅行に行けることなどで満たされた気持ちになる側面がある一方で、アイデンティティを失い透明人間になってしまったような感覚があること、知的な刺激のない生活で孤独に陥ること、子どもの良いロールモデルではないのではないかという疑いや、自分の時間が持てないなどの苦悩を描いている。
その対処策として主婦たちが見いだす方法は、1つはもちろん働き始めること。何らかのフリーランスなど柔軟な働き方ができる仕事を見つけるというものだ。もう1つは同じような仲間を得て、1人ではないと感じられるようにすること。前回(「専業主婦『驚異のネットワーク』の構造的不安」)書いた専業主婦ネットワークにも通じる。
そして最後が、家庭のプロフェッショナルになるということだ。彼女たちは自分のことをHousewifeとは言わず、Stay at home momという呼称を好む。中には××家のCOO(chief operating officer)という冗談も交えながら、母親も立派なキャリアであることがわかったと言い始める。学校や地域のボランティアで価値を発揮する母親たちもいる。
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