愛甲猛の転落生活をトコトン支えた妻の献身 人気プロ野球選手の光と影をともに見てきた
今の50代以上の野球好きで、愛甲猛(あいこう・たけし)の名前を知らない人は少ないだろう。
1962年生まれ、神奈川県逗子市出身。横浜高校時代は夏の甲子園に2度出場、“甲子園のアイドル”として、絶大な人気を誇った。
1980年ドラフト1位でロッテに入団。1984年から野手に転向し、1989年には打率3割をマークし、一塁手としてゴールデン・グラブ賞を獲得。535試合連続フルイニング出場はパ・リーグ記録である。1996年に中日に移籍し、2000年に現役引退。現在は野球評論家として活動中である。
“甲子園に愛された男”愛甲猛
数々のヒット曲を世に送り出した作詞家の阿久悠さんが、愛甲さんを称え、こんな詞を送った。
(「愛しの甲子園」より)
まさに、愛甲さんはその名のとおり、甲子園に愛されていた男だった。
当時、横浜高校のエースとして活躍していた愛甲さん。少し不良っぽく、やんちゃそうな雰囲気は女性たちのハートをわしづかみにした。愛甲さんがマウンドに立つと、若い女性ファンから黄色い声援があがり、試合後、愛甲さんの乗ったバスに大勢のファンが群がりサインを求めるほど。
そんな愛甲さんが、最も注目されたのは、高校3年生の時。1980年、夏の甲子園大会で愛甲さんは、ピッチャーとしてもバッターとしても横浜高校を引っ張り、チームを決勝へと導いたのだ。
その時の相手は、名門・早稲田実業。その当時、早稲田実業には、大ちゃんフィーバーと呼ばれる社会現象まで巻き起こした1年生ピッチャー荒木大輔選手がいた。そんな荒木選手と愛甲選手、2人のアイドル対決は、日本中が大注目し、決勝戦のテレビ視聴率は、なんと39.9%をたたき出した。
試合は、愛甲さん率いる横浜高校が荒木選手を打ち崩し、見事、全国制覇を成し遂げた。
そしてこの年のドラフト会議。ドラフトの最大の目玉だったのは、東海大学の原辰徳選手。原選手には4球団の指名が集まり、巨人が交渉権を獲得。一方、愛甲さんは地元横浜の大洋(現・横浜DeNAベイスターズ)を熱望していた。
くじを引き当てたのは、ロッテ(現・千葉ロッテマリーンズ)だった。名前が挙がった時、愛甲さんは、素直な感情をあらわにし、絶句したが、その後、気持ちを切り替えて、ロッテに入団した。
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