不登校から人気バンドマンになった男の人生 4年半の引きこもりからデビュー、現在まで

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「いつのまにか『音楽をつくること』が、『音楽を売ること』に変わってしまった。“好き”を仕事にしたはずなのに、純粋に音楽をつくることができなくなり、これをきっかけに何かが崩れ始めました。ふり返ると、自分が弱かったと思います」

純度がなくなる前に一番いいところで終わりにしたい。そう考え、翌年末まで活動を続け、渋谷公会堂でのコンサートを最後にバンド活動の幕を閉じたのでした。

タイミングはかならず来る、って信じていてほしい(写真:不登校新聞)

現在、田村さんは美容の世界で活躍しています。自分の店を開いて、はや2年。予約はいつもひと月先まで埋まり、今ではオリジナルブランドの化粧品の開発も進めています。先日はついに事業を法人化しました。

バンドを解散してから店を開くまでにも、いろんなことがありました。表情筋のセミナー講師として全国をひとりでまわったり、経営やボディケア、フェイシャルのスクールに通ったり、芸能事務所で社員として働きながらビジネスマナーを身に付けたり。再び音楽と向き合うためライブも行ってきました。

ここまで、どうしてそんなにがんばってこられたのか? 田村さんに尋ねると、「不登校の経験は大きい」と言います。

「どこにも出られなかったあの4年があるからこそ、ですね。どん底までつらい時期があったから、いまこうして外に出られること、人と話せることが、とてもうれしい。動けなかった時期があったからこそ、動けることがありがたい。やれなかったつらさがあったから、やれるときに最大限やるんです。だから、いまこうして動ける僕にはやらないという選択肢がない」

好機はかならず

今つらい状況にある人に田村さんが伝えたいのは、「充電期間だから、恥じることはない」というメッセージです。

「辞めるのも逃げるのも、学校に行かないことも“充電”だから、恥ずかしいことではないんです。人と比べないことも大事。あんがい他人って、こちらには関心がないんですよ。関心があると思うから恥ずかしくなるんですけれど、じつは意外と見ていない(笑)。頭ではわかっていても、焦ったり悩んだりするときはあると思います。でもそのときは、ごまかさなくていい。僕も焦るときはとことん焦ったし、何度も死にたくなったことはあるけれど、時間がたてば絶対に乗り越えられるから。タイミングはかならず来る、って信じていてほしいです」

一方で、親の立場の人に対しては、「子どもを認めてあげてほしい」と言います。

「やっぱり子どもは子どもなんです。子どもは人生経験が大人より少ない。だからしかたがない、と思って見てほしい。うちの親が変わったのも、それだと思います。僕が小さかったころは、言えば聞くだろうと思って、厳しく言っていたんだと思いますが、僕が『自分たちが思うより、もっと子どもだ』ということに気づいて、すっと引いた。親どうしのコミュニティに足を運んで勉強するうちに、親が本当の意味で『親』になることができたんだと思います。ほかの人のいろいろな経験談を聞けば、自分の子どもに合った導き方が見つかると思うので、探して、試していってほしい。どこかで子どもが変わる瞬間があると思うので、そのときいっしょにがんばろうって思ってもらえたら」

不登校時代のあの日、テレビでヴィジュアル系バンドを見て以来、「自分も誰かの希望になりたい」と望んできた田村さん。「僕の話でお役に立てたら」と、笑顔で去っていきました。

(ライター:大塚玲子)

不登校新聞

日本で唯一の不登校専門紙です。不登校新聞の特徴は、不登校・ひきこもり本人の声が充実していることです。これまで1000人以上の、不登校・ひきこもりの当事者・経験者が登場しました。

また、不登校、いじめ、ひきこもりに関するニュース、学校外の居場所情報、相談先となる親の会情報、識者・文化人のインタビューなども掲載されています。紙面はすべて「親はどう支えればいいの?」という疑問点から出発していると言えます。

公式HP 

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