不登校から人気バンドマンになった男の人生 4年半の引きこもりからデビュー、現在まで
「痩せよう」と決めていたため、アルバイトや親の手伝いをして小遣いを稼ぎ、ジムにも通うように。成長期が重なったこともあり、ダイエットにも成功。友だちもでき始め、田村さんはちょっとずつ、変わっていきました。
念願のヴィジュアル系バンド結成に向けて一歩踏み出したのは、高校2年のときです。憧れのミュージシャン(ジャンヌダルクのベーシスト・ka-yuさん)に近づこうと、同じメーカーのベースを購入。当時の田村さんの日記には「1カ月で飽きるだろうな」と書かれていましたが、本人の予想に反し、すっかりのめりこんでいったのでした。
その高校には軽音楽部がなかったため、インターネットでメンバー募集を探し、アマチュアバンドの活動を始めました。
本格的な音楽活動へ
高校3年になり、田村さんは再び進路に悩みます。「今思うと、楽なほうを選んだ」と言いますが、卒業後はフリーターをしながらバンドを続けることに。しかし、このままずっとフリーターでいいのか? だんだんと焦りが出てきて、ビジネス寄りのインディーズバンドに軸足を移していきました。21歳で事務所に所属し、セミプロとして活動をスタート。徐々に知名度が上がり、「人前に立つのが快感」な時代に突入したのでした。
しかし25歳のとき、またもや転機が訪れます。
「いつのまにか僕のなかにおごりが生まれていたんでしょうね。メンバーのなかで問題が起き、活動を休止せざるを得なくなったんです」
突然訪れた空白の時間。それから半年、田村さんはこれまでのこと、この先のことを考え続けました。
「年齢も年齢だったので、これから本当にバンドで食べていくのであれば、自分がリーダーをやるくらいの気持ちが必要だと社長に指摘されて、僕の意識がカチッと変わりました。再開後はメンバーが一丸となり、結果を出していった。自分が中心となって曲をつくり、1年半でメジャーデビューし、オリコンチャートでトップ5に入り、全国ツアーをまわり。目標としていたことは解散までに可能なかぎりやりとげました」
メジャーデビュー後は、不登校やいじめの過去もさらけ出すようになりました。東日本大震災が起き、「誰かのために活動したい」と思うようになったのがきっかけです。
「自分の経験を話すことで人のためになれるなら、と思いました。自己開示したらこれまでとはちがう反響があって、自分を開くことの重要性も感じましたね」
それから5年半。順調ながらも、かかわる人も増えて多忙を極め、プレッシャーも大きくなっていった日々でした。
バンドを解散しようと決めたのは、31歳のとき。最新のシングルCDがオリコンで5位に入ったのに、喜べなくなっている自分に気づいてしまったのです。