不登校から人気バンドマンになった男の人生 4年半の引きこもりからデビュー、現在まで

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「どこにも出られなかったあの4年があるからこそ」頑張れるという田村さん(写真:不登校新聞)
2014年に解散したヴィジュアル系バンド『ν[NEU]』の元リーダーで、現在は東京・渋谷でエステサロンを経営する不登校経験者・田村貴博【ヒィロ】さん(35歳)にお話をうかがった。聞き手は『PTAがやっぱりコワい人のための本』などを書いた大塚玲子さん。

記憶がない

約束をした原宿のファミレスに現れたのは、華やかな雰囲気ながら、とてもまじめで気さくな青年でした。田村さんにもじつは、かつて学校に通えない時期があったと言います。

当記事は不登校新聞の提供記事です

「小5の途中から中学卒業までの約4年半、まるっと家にいました。祖父が開業医で、小さいときから『医者になれ、勉強しろ』と言われてきたプレッシャーと、当時は太っていて学校でいじめられたのが原因です。親の理想を押しつけられて応えられず、限界が来てプチっと糸が切れた。典型的なパターンですね」

家にこもっていた当時の記憶は、あまりありません。つらかったのでしょう。覚えているのは「ひたすらゲームをしていた」ということのみ。

「でも途中から、親が変わってきたんです。母が不登校の子を持つ親が集まる「親の会」へ行くようになり、僕に歩み寄ろうとしてくれて、厳しかった父も優しくなってきた。そうしたら自分のやっていることに罪悪感が出てきたんです。それまでは、自分がこうなったのは親のせい、先生のせいだとまわりに当たり散らしていたけれど、どこかで虚しくなってきた。学校に行きたくても行けない自分が情けなくて、すごく悩みました」。

親の変化を受け、「自分も変わりたい」と思い始めたものの、どうすればいいかわからず苦しむ日々。しかし、ヒントは思わぬところからもたらされました。

「あるとき夜中にテレビを見ていたら、ヴィジュアル系バンドの番組をやっていたんです。それにすっかり引きこまれてしまって。キラキラした世界を見て『いいなぁ、自分もああなりたい』と強く思ったんです」

自分もあんな人になろう。そう決めた田村さんは「自分のことを誰も知らない高校に行く」と決め、単位制の高校に進学しました。

「通学に片道1時間くらいかかったんですが、最初のころは電車に乗ると吐いてしまって(苦笑)。4年間ずっと家にいて、急に外に出たので。だからしばらくは早起きして、逆方向に乗って始発駅から引き返したりして、ちょっとずつ慣らしていきました」

高校に入ったころは、中学に行っていないことやいじめられた過去を「恥ずかしい」と感じていたため、周囲にはその経歴を偽っていたこともあったそうです。

次ページちょっとずつ、変わっていった
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