「物語が終わっても暮らしは続いている」
――自然な演技を作るために、一緒に生活したり自由に演技してもらったりという手法は今回も取り入れていると伺っています。
そうですね。なるべく長めに撮って「どこを使っていく?」というやり方で撮影をしています。そこで彼らが生活しているように自然に見える映画、どこを切り取っても「あの空間で暮らしていて、映画が終わった後もそこで暮らしている」というような見せ方をしたいと思っています。
クランクインの前に家族役になる尾野さんと福山さんと(二宮)慶多君は、実際に一緒に遊ぶ日を1日作りました。ご飯を食べてゲームセンター行って、そういうことをしてなじんでいってもらった。慶多君がきちんと尾野さんと福山さんとコミュニケーションが取れて、彼らに意識が集中するということが大事。監督のことを気にしないで彼らとやり取りができるようにするためには、ある程度、時間を共有してもらったほうがやりやすいですね。
――『奇跡』などでは、子ども同士が普段の会話で使う言葉を上手に引き出していました。今回も同様に言葉を引き出していったのでしょうか?
アドリブはありませんが、子どもと会って話していている中で、その子の口癖もせりふにしていくことはやっています。琉晴役の子は関西の子だったので、そのまま生かしました。父親も関西弁にして、関西から北関東に流れてきたという設定にしようといったことを考えたうえで、関西弁を生かしました。
――「オーマイゴッド」とかっていうのは?
あれは口癖です。本人の。勝手に言っているので、アドリブっていえばアドリブですね。子どもの口癖なので、それを言ってもらっている。
――役者の人間性を切り出そうとしているのは、ドキュメンタリーの世界に携わった経験が生かされているのでしょうか?
そうかもしれませんが、自分の撮りたいと思っているフィクションがそういうフィクションであって、ドキュメンタリーだと思って撮っているわけではない。撮りたいと思うのが、そういうものなのです。リアルというよりは、やはりあそこで生活しているように見せたいということですね。物語が終わったあとも、彼らがそこにいる。そして、その姿を見た人がイメージできる、「ああ、今日、あの家族はどうしてるんだろうな」と思うような現実というか映画が、映画館の中で閉じないような作り方ができるといいなと思っています。それをリアルと呼ぶならばリアルですが、違う呼び方があれば、それでもいいと思っています。
――次はどんな映画を作りたいと考えているのでしょうか?
いろいろあります。いろいろある中のひとつに、こういう家族の話というのは視野のひとつに入っていて、また作れるタイミングがあれば作りたいなと思います。しかし、そうじゃないものも選択肢にはある。先ほど話した心臓外科医の話や時代劇といったものなど、やりたいものはある。どういうタイミングでどう出していくか、今年は休んでいなかったので、これからゆっくり考えようと思っています。
(撮影:今井 康一)
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