レストランでの取材中も、周囲の席に座る中年女性たちがチラチラと宋に視線を送るのは、今や朝の情報番組でコメンテーターも務める彼女が何者かを知っているからだろう。でも宋が発信や発言をやめないのは、「人にどう見られるか以前の問題で、自分が思ったことをただ伝えているだけ」。臨床医として活躍の軸がしっかりとある彼女にとって、自分が有名になりたい、売れたいという動機は薄い。「きらびやかな女医さんはたくさんいますけれど、私はすごく普通なんで、(世間の人に)対等な感じで聞いてもらえるかなと。産婦人科医を身近に感じてもらえればそれでいいんです」
女の日常の性を扱う
女にだって性はある。2010年代の女性はもちろんわかってはいるが、おおっぴらに語ることにはまだプレッシャーがある。これまで女性がそれを語る論調といえばやたらと攻撃的か、観念的か、あるいは性を持て余し、こじらせるかのいずれかだった。
「もっと日常なんですよ。肩肘張らずに、普通にやったらいい。女性活躍と一緒で、わざわざキラキラさせた『活躍』なんて要らない。みんな、幸せに生きていく方法をただ探しているだけのことですよね」。先人が切り拓き、社会がちょっとずつ変わってきた部分はある。でもキラキラだの才女だの、女なる存在を”お化粧”させないといまだにメディアで語れないのは、やはり「女性が全然平等でも対等でもない社会だから」だ。
「男って、勉強しておカネを稼いでいたらモテだとか家庭だとか、全部ついてくるでしょう。でも女って、いろいろなことに頑張らないといけないプレッシャーがありますよね」。たとえば”女医”ひとつとってもいろいろな人がいる。家事も子育ても一手に引き受けて、パートで働く”女医”も多い。同じく医師の夫を持ちながらフルタイムで働く宋が、週1回幼い子どもたちを夫に預けて夜の会食に行くと話すと、そのパート女医たちは「それで旦那さんが許すの?」と驚いたという。
宋には違和感があった。「なぜ”許し”を得なければいけないのか、と」。高学歴でたくさん勉強をして物知りのはずの女医にも、男性から見て都合のいい女、世間の感覚から離れた女たちがたくさんいる。「自分に呪いをかけて、ずっと”無理ゲー”を続けているんですよね」。そんなふうに全方位で高得点・高評価を競い続ける現代の女性たちが、”良い母・良い妻、かつすてきに活躍する女性職業人”と、世の期待を一身に背負うプレッシャーの反動で、潔癖に世間を呪う。
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