TOKIO緊急会見に見えた強烈な4つの違和感 謝意や猛省は伝わるも、矛盾を隠しきれず

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もし彼らが何度も口にしているように、「被害者を第一に考えているのなら、償いの第一歩として適切ではない」のかもしれません。今回のような心に深い傷を負う被害を与えてしまったときは、「世間に向けて、直接的に、短時間で集中的に謝罪する」のではなく、「本人に向けて、遠い場所から、時間をかけて少しずつ謝罪する」のが鉄則。その方法でなければ、再び傷をえぐることになってしまうのですが、今、被害者の少女はどんな心境なのでしょうか、心配になってしまいます。

さらに城島さんは、「今、見ていらっしゃるかもしれませんが、『どうやって向き合っていくか』という部分におきましては、謝罪は実際に謝りに行くのか、どうするのかということも含めまして、今後メンバー全員で具体的にどうしていくべきか、という部分も話し合っていかなければいけないと思っています」と話しました。最重要事項が決まっていないのに、なぜ会見を開いたのか? やはり、「その他にも謝るべき人々がいるから」と考えるのが自然でしょう。

今回の事件で、番組スタッフやCMスポンサーは緊急対応を強いられました。4人は直接的な被害者だけでなく、それらの人々にも自らの口で謝罪したかったのでしょう。

世間には山口達也より孤独な人がいる

ただ、会見を見ているうちに、「これは入院している山口さんに見せるための会見でもある」ことに気づかされました。彼ら4人の言葉は、先週の会見で「もし待ってくれる場所・席がそこにあるなら、またTOKIOとしてやっていきたい」という甘えを明かしてしまった山口さんへの「会見はこうあるべき」というメッセージであり、「あの発言は違います」というフォローになっていたのです。

彼ら4人は会見で「これでもか」というほど、何度も頭を下げました。謝意や猛省は確かに伝わってきました。しかし、「4人で活動継続すること以外、何も決まっていない」「山口さんの処遇は保留」である以上、世間の人々から「甘い」と思われても仕方がないでしょう。

「時間がなかった。自分たちはまだ冷静ではない。だから何も決められていない」は、企業にしろ、地域コミュニティにしろ、一般社会では通用しません。23年間の年月や、そこで培った絆を聞いても、謝罪会見の場で「仲間」を思うコメントへの違和感は消えないのです。

ほとんどの人は、彼ら4人の会見を見て、「こんなに思ってくれるメンバーが4人もいる山口さんは幸せ」と感じたのではないでしょうか。世間の人々は、山口さんとは違って「心強い仲間に恵まれず、精神・金銭の両面で辛く苦しく、孤独な日々を送っている人々がたくさんいる」ことを知っています。

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