ハリル騒動でみえた「日本人監督化」の青写真 選手を納得させる指揮官の理想像を検証する

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加えて、今回のハリル問題が世界中に知れ渡ってしまった。海外メディアでは「ワールドカップに導いた監督をクビにするのか」という驚きの反応も上がったという。選手とうまくコミュニケーションを取れなければ解任される恐れのあるアジアの国にわざわざ来たいと考える外国人監督は滅多にいないはず。この一件が日本サッカーの今後の可能性を狭めてしまったのも確かだ。

こうした事情もあり、少なくともロシア大会後は日本人監督抜擢が濃厚と見られる。そこで今一度、考えなければならないのが、選考基準である。

Jリーグ発足後の日本人監督はこれまで3人だけ

1993年Jリーグ発足後のA代表監督を振り返ってみると、日本人は加茂周監督(現解説者)、岡田武史監督(現JFL・FC今治代表)、今回の西野監督の3人だけ。しかも、岡田、西野両監督は緊急事態発生によるピンチヒッターで、加茂監督だけがクラブでの実績を評価されて就任している。

ピンチヒッターで就任した西野監督(右)と満面の笑みを見せる田嶋会長(左)。4月12日の就任会見で(編集部撮影)

その加茂監督でさえ、1998年フランスワールドカップアジア最終予選途中に更迭され、任期を全うすることはなかった。このようにA代表の日本人監督の例はあまり参考にならないため、五輪代表監督のほうを見てみることにしたい。

1996年アトランタの西野監督はユース代表からの持ち上がり、2000年シドニーのフィリップ・トルシエ監督はユースとA代表の兼務で、「下からの積み上げ」「一貫指導」が重視されていた。2004年アテネの山本昌邦監督(現解説者)もユース代表監督経験者で、トルシエジャパンのコーチも務めていた。その経験値が買われた格好だった。

クラブでの指導力に重きが置かれるようになったのは、2008年北京の反町康治監督(現J2・松本山雅FC監督)以降だ。2012年ロンドンの関塚隆監督(現日本協会技術委員長)、2016年リオデジャネイロの手倉森誠監督(現日本代表コーチ)、2020年東京の森保一監督はいずれもJクラブで手腕を発揮した指揮官だ。ただ、「タイトルを取った」とか「〇位以内」といった明確な指標はなく、その時々の会長や技術委員会が「チームを躍進させた」というイメージで選んできた傾向が強いのではないか。

そこは、指導を受ける側にとっては非常に曖昧な点。これだけ五輪世代から海外に出ていく選手が増えて、欧州トップクラスの戦術家や理論家の下でプレーする者が多くなると、Jリーグレベルの監督の考えや哲学に違和感を覚えたり、世界基準とのズレを感じるケースも出てきかねない。

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