日本人はナイキの躍進から何を学ぶべきか? 創業者フィル・ナイト氏への直撃取材を敢行

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日商岩井でナイキ担当となった皇孝之氏(写真:NHK)

「私たちは、夢を買ったんだと思う」と、少しカッコイイ言い方もされていたが、「当時は、世界的にはアディダスとプーマというドイツメーカーが席巻していた。アメリカではコンバースくらい。ここ(北米)でいいブランドを立ち上げられたら、勝負できるんじゃないかという感触があった」という見立てだったという。

彼の言葉で、あわせて印象的だったのが、「当時は、100(の事業を)やって3つ成功すればいいんだ!と言われていたんだよ。まぁ、ナイキがその3つに入るかなと感触を持つには、2年くらいかかったけど……」というものだ。

「商社金融」という言葉がある。支払いのタイミングを調節することで、事実上事業会社に対して融資することだ。日本の高度成長期における商社は、企業への資金供給源として現在よりもはるかに重要な役割を占めていたとされる。それは、銀行などと違って、数字に基づく実績(結果)重視ではなく、将来性を見定め、リスクを取って支援に乗り出す姿勢があったからだ。

ナイト氏は著書で、そうした日本の総合商社の「プライベートバンク」的役割を当時すでに見聞きしていたと回顧している。彼がそもそも日本への好奇心が強かったという面もあっただろうが、すでにアメリカまで、日本の商社の“活躍”は聞こえていた。膨大なアスレチックシューズの在庫だけが担保、という彼の事業のやり方を地元の銀行がいぶかしく見るなかで、日本の商社がナイキ支援の「真ん中」に座るわけである。

当時の日本は、1964年の東京オリンピックを経て、「いざなぎ景気」に沸いていた。「所得倍増計画」「三種の神器」……。まさに戦後復興の中で、失うものは何もなく、日本の企業全体が「リスクテイカー」だったのかもしれない時代だと言えよう。

日本企業の「普通のアグレッシブさ」

「あれ、サングラス外さないの?」という思いを抱えながら、インタビューは始まった。まず彼は、『シュードッグ』の日本での売れ行きが好調なのがとてもうれしそうだった。20万部突破だと伝えると、「アメリカでは約40万部。人口を考えると、日本はすごいね。うれしくなるよ。あの本は日本で始まり、日本の話を中心にしているからね。日本で広く受け入れられているのは、すばらしい」。

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