日本人はナイキの躍進から何を学ぶべきか?

創業者フィル・ナイト氏への直撃取材を敢行

広大なナイキ本社(写真:NHK)

中心には大きな人工池があり、周囲にある大小50を超える建物には、名だたるアスリートの名前が冠されている。マイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズ……。最も新しいビルには、セバスチャン・コー。イギリスの元五輪選手で、1500メートル金メダリスト。先のロンドン五輪では組織委員会委員長を務めた人物だ。

ナイキが、各競技のアスリートを国籍問わず強力にサポートし、彼らの躍進、活躍によってブランド価値を上げ、製品を売ってきた「戦略」が、この「キャンパス」にも色濃く投影されている。

この大きな敷地の中で、中心的な存在とも言えるのが、「プリフォンテーン・ホール」だ。スティーブ・プリフォンテーン。ナイキが最初にスポンサー契約をしたアメリカ陸上中長距離界のスター。1975年に24歳という若さで交通事故によって命を落とすのだが、ナイキの創成期を彩るホールには、彼の名前が最もふさわしいのだと推察した。このホールが、今回のインタビュー場所となる。午後2時すぎ、ナイト氏は現れた。長身にサングラス、とても温厚な声が印象的だった。

事前に、スメラギ氏を訪ねた

インタビューを行うにあたって重要なのが、ナイト氏と日本とのかかわりだ。創業時のナイキ(当初はブルーリボンスポーツ社)が多くの日本企業とかかわって成長してきたという事実は、意外と知られていない。オニツカ、日商岩井、日本ゴム……(いずれも当時の名称)。まさに、「ナイキを育てた国」が日本だったわけだが、なかでも最も大きな役割を果たしたのが、総合商社の日商岩井(現・双日)だろう。

1970年、ナイト氏が日商岩井ポートランド支店に“飛び込んだ”ところから関係は始まる。当時、日商岩井でナイキ担当となったのが、『シュードッグ』で“スメラギ”という表記で登場する、皇孝之さんだ。現在も都内で元気に暮らしておられ、アメリカに行く前の週に、私たちは皇さんを訪ね、インタビューした。

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