自分の無知を自覚していない人が残念なワケ 本当は知らないくせに知ったかぶりする危険

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そして説明できなかったことを反映して、2回目に自らの理解度を尋ねたときには1回目よりも評価を下げていた。2回目の評価で理解度を引き下げたのは、要するに「自分が思っていたほど知らなかった」と言っているのに等しい。こうした思いこみは、認知科学の用語で「説明深度の錯覚」と呼ばれる。説明深度の錯覚により、私たちは往々にして裏づけもないのに強固な意見を持ってしまうのだ。

不完成な自転車の略図、欠けている部品は何か?

「説明深度の錯覚」のわかりやすい例が、自転車についての知識である。リバプール大学の心理学者、レベッカ・ローソンは同大学の心理学を専攻する学部生に、不完成な自転車の略図を見せた。

これには何が欠けている?(出所)『知ってるつもり――無知の科学』(早川書房)

その自転車にはチェーンやペダルもなく、フレームの部品もいくつか欠けていた。ローソンは学生に欠けている部品を描き込むよう求めた。フレームのうち、欠けている部品は何か。チェーンやペダルはどこにあるべきなのか。

この問いに答えるのは意外と難しい。ローソンの研究では、被験者のほぼ半分が、図を正しく描きあげることができなかった。欠けている部品を描き込むのではなく、正確な図1つと不正確な図3つを見せられ、正しいものを選ぶように言われたケースでも、正答率はさほど上がらなかった。被験者の多くが、チェーンを前輪と後輪の両方にかかるように巻いている図を選んだが、実際にはそれでは自転車は曲がることができない。

正しく描ける人はほとんどいなかった(出所)『知ってるつもり――無知の科学』(早川書房)
次ページ世界の複雑性は私たちの手に負えるものではない
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事