「画像処理技術」の最先端で起きていること モルフォ社長にロングインタビュー

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村上:2004年の創業当時はガラケーの時代。2007年にドコモと組まれて、2011年に上場なさっていますが、ちょうどその頃、ドコモはサムスン製品を注力的に扱うようになり、御社の業績も急成長の状況から一気に落ちこんだと思います。大きなパートナーがいることのメリットとデメリットについてはどうお感じですか?

平賀督基(ひらが まさき)/1997年、東京大学理学部情報科学科卒業。2002年、東京大学大学院理学系研究科情報科学専攻(博士課程)修了。博士(理学)。在学時より画像処理や映像制作用の技術開発に携わる。2004年、株式会社モルフォ設立、代表取締役社長。2011年、当社代表取締役社長兼CTO室室長(現任)(写真:Signifiant Style)

平賀:2006~7年ころにドコモに面白い会社だと評価していただいて資本参加してもらい、ドコモ・ドットコムというVCからも出資を受けたんですが、その当時、ドコモはテクノロジーの会社に積極的に支援を行っていました。当時のドコモは、ガラケーをネットに繋げる技術や、javaでアプリ開発をするといった日本の技術を海外に持っていこうとしており、その流れに乗ってわれわれのようなテクノロジーの会社もお世話になることができたんです。大きい会社が支援してくださるとそこからの売上も上がるし、経営も安定するので、非常に良い支援をしていただいたと思っています。当時の大口顧客はドコモとシャープで、その2社で売上の半分くらいを占めていました。

ただ、そうした日本の技術を海外に展開していこうという戦略があまりうまくいかず、そのうちにAndroidやiPhoneが出てきました。ドコモとしてもデバイスのテクノロジーを自分たちでやるよりも、サービスに舵を切っていこうという方針に変わり、メーカーからガラケーやスマホを調達しなくなりました。

われわれのビジネスは、ソフトウエアをお客様にライセンスしてその対価をいただく事業が中心ですが、当時、シャープやNEC、パナソニックといった携帯電話メーカーに提供していたライセンスの費用を、実はドコモが肩代わりしてくれていたんです。「基本的なソフトウエアだからキャリアが負担する」という位置づけで。そのビジネスモデルがガラケーからスマホに急激に変わっていくタイミングで崩れてしまいました。

それでも、2011年のIPOを後押ししてくれたのもドコモでしたし、サムスンと繋いでくれたのもドコモでした。そのころまではドコモとの提携のメリットは大きかったんです。

スマホシフトで苦境に、そして海外へ

村上:IPOを後押しした点でも、ドコモの貢献は非常に大きかったということですが、その直後にビジネスを国内9割から海外9割へと大きく転換していますよね。同時に、それまではキャリアを通じてビジネスを展開されていましたが、デバイスメーカーと直接やりとりしなければならなくなりました。こうした変化をどのように乗り切られたのですか?

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