北千住・西巣鴨の「460円では安すぎる」名銭湯 東京「戦前築の銭湯」2軒を360度カメラで探訪

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もう一軒訪ねた銭湯は、北区滝野川の稲荷湯。やはり宮造り銭湯が東京に続々と建てられていった頃である1930(昭和5)年築だ。現在の女将の土本公子さんの曾祖父が石川県から上京して大正初期に銭湯を始めた。現在の建物は曾祖父が「日本一の風呂屋を作るんだ」と宣言して建てたものだ。

宮造りの銭湯は、正面に寺社のような「千鳥破風」と呼ばれる屋根を持ち、その下の玄関上に唐破風がある二重破風(屋根)が特徴だが、稲荷湯はそれがさらに三重になっている。稲荷湯にも脱衣場の外には池を擁した庭があり、憩いの空間に。以前は現在の脱衣場の一部まで池が広がっていたが、改築されている。

ここは、男湯女湯の間に仕切りがあるとはいえ、吹き抜け空間の高い天井が気持ちよく、大きな窓から自然光が入る。女将さんによると「この明るさがいいと、まだ日の高いうちにおいでになる常連さんもいらっしゃいます」という。

こちらも2014年に洗い場の改装を行い、タイルを新しくしたほか、浴槽を3つに増やした。改装前からあった42〜43度の浴槽と46度の“あつ湯”に加えて、新たにもう一つ“ぬる湯”の浴槽を作った。

今は都内の銭湯でもロビー式が増え、番台は全体の2、3割になっているというが、こちらは今も伝統の番台式。ペンキ絵は毎年1回描き換えていて、現在は男湯が富士山、女湯が潮岬(和歌山県)。富士山の景色は人気なので毎年男湯か女湯のどちらかが必ず富士山になるそうだ。

そして、洗い場では今でも昔ながらの木おけを使用。毎年、お正月の2日は7時から朝湯を営業し、その際に新しい桶をおろすのを恒例にしている。また、稲荷湯は映画「テルマエ・ロマエ」の撮影が行われたことでも有名。こちらの浴槽からローマ人に扮した阿部寛が登場する場面は衝撃的だった。2012年の公開後には、映画を見てやってくるお客さんも増え、中には海外からの旅行客もいるらしい。

番台の上から全体をのぞむ。右手が男湯、左手が女湯(編集部撮影)

銭湯経営者に雪国出身者が多い理由

東京の銭湯経営者は、石川、富山、新潟県出身者が多い。寒い雪国で雪下ろしなどにも耐える辛抱強さは、重労働とされる風呂屋の仕事をものともしないからと言われる。戦前から高度経済成長期の1960年代にかけて、銭湯はたいへん儲かる商売だったため、東京で成功すると故郷の兄弟や親戚を東京に呼び寄せ、その一族が新たに都内で銭湯を開業していくという例も多かった。今回取材したタカラ湯、稲荷湯とも、親族が都内で銭湯を経営しているとのこと。

相変わらず銭湯の毎日の仕事は大変なもので、営業が終わった直後の深夜の掃除や風呂焚き、番台など仕事も多く拘束時間も長い。

しかし、そうして日々清潔に磨きあげられた銭湯の大きな浴槽や広々とした空間は実に気持ちのよいもの。特に今回取材した2軒は建物も庭も由緒があり、周辺の町並みも味わい深い。お風呂屋さんを目的地にした町歩きに出掛けてみることをおすすめする。

鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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