「衰退途上国」日本の平成30年史を振り返る リベラルはなぜ新自由主義改革に賛同したか
柴山桂太(以下、柴山):問題はその改革の中身ですね。
僕が大学に入学したのは1993年ですが、最初の頃に講義で読まされたのは、日本型経済システムや日本的経営を礼賛する本でした。製造業の分野で日本がアメリカを追い越したのは、日本の組織運営や長期的取引慣行が優れていたからだという話ばかりだったんです。
ところが1997年に大学院に入ったらすっかり様子が変わっていた。今度は比較制度分析の手法などを用いて、日本型システムを一気に改革しなければならないという話になっていた。
たかだか数年で、評価が正反対に変わって驚いた覚えがあります。終戦時に学生だった人たちが、戦前の教科書を塗りつぶさせられたのに近い体験を、僕たちの世代もしているわけです。
中野:私も学生時代に柴山さんとまったく同じカルチャーショック、同じ違和感を持ちました。おそらく施さんも同じでしょうね。
佐藤:日本全体が「今のままではダメだ!」とばかり、改革路線へと鞍替えしたわけですね。確かに敗戦直後、「今までのわれわれは間違っていた。ナショナリズムや軍国主義など捨ててしまえ、これからは平和と民主主義だ!」という方向性が、あっさり既定路線になったのと似ています。
いわゆる「テンプレ(テンプレートの略。ひな形の意)」ですが、テンプレの問題点は、一度出来上がると、本当にそれでいいのかを考えてみることなく、みんなが乗ろうとすること。
自分で物を考えない人ほど乗りたがるし、乗ってしまった人ほど、ますます物を考えなくなる。そして、ますます物を考えなくなった結果として、いっそうテンプレにハマってゆく。思考停止の悪循環が生じるのです。
アメリカでは保守的な思想の新自由主義
佐藤:1990年代以降に進められた一連の改革の特徴を要約すれば、ずばり「日本社会のアメリカ化」となります。「既得権益をなくし、規制を緩和・撤廃したうえで、セーフティネットを外して自由競争を徹底させよう。それこそが活力ある繁栄をもたらすのだ!」という主張が、幅広い支持を得て、錦の御旗となった。つまりは新自由主義改革ですが、それがグローバル化礼賛と結びついて、国を大きく変えていった。
施光恒(以下、施):1993年に出た小沢一郎の『日本改造計画』の冒頭に、グランドキャニオンのエピソードが出てきます。「アメリカのグランドキャニオンは、あれだけ切り立った崖なのにさくがない。日本だったらおそらくさくだらけになっているだろう。日本人は自律性がないからお上に頼り、規制を張り巡らせてもらっている。これからはさくを取り払って規制もなくし、日本人一人ひとりが自分の頭で考えなくてはいけない」という話です。まだ私が学生だった頃ですが、この手の話は当時あちこちで耳にした記憶があります。
中野:新自由主義改革そのものは1980年代の(マーガレット・)サッチャー、(ロナルド・)レーガンがはしりで、日本では中曽根政権の時代に始まっていますね。ただ1980年代の新自由主義は、日本経済の規模が大きくなってきて、「経済大国として国際的なポジションをどう考えていくのか」といった議論の中で論じられていた。それが1990年代になってバブルが崩壊すると、「日本は新自由主義的な考え方がないからダメなんだ」というような自虐型になっていった。
佐藤:1990年代以降の日本では、「旧態依然の日本的なるもの」が否定の対象となりましたが、逆に肯定の対象、目指すべきゴールとして打ち出されたのが、「アメリカ的なるもの」であり、新自由主義でした。
ところが新自由主義は、アメリカではむしろ保守的な思想なんですね。しかも戦後日本では、親米こそ保守のテンプレ。こうして「保守」と呼ばれる勢力が、妙にアメリカ至上主義となって、「日本的なるもの」を否定するというパラドックスが生じます。
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