「衰退途上国」日本の平成30年史を振り返る リベラルはなぜ新自由主義改革に賛同したか

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:そのストーリーとは、「集団主義的な体制こそがつねに日本が敗れる原因なのだ」ということですね。

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中野:そうです。「日本は翼賛体制を採ったことで戦争に突き進み、敗れた」と考える。実際には、世界大戦は総力戦ですから、戦争に勝った国々でも集団主義的な体制だったのですが、そういう議論にはならず、日本固有の集団主義が悪いから戦争に負けたということになる。

そして、戦後は経済で頑張ってきたけれども、平成不況でそれもダメになった。そのとき「これは第二の敗戦だ」と言われるわけです。それは「第二の敗戦という以上は、その原因は当然、第一の敗戦と同じはずだ」という発想になる。つまり「集団主義的な1940年体制が戦後の日本を支配していた。だから日本は負けたのだ」ということになるわけです。

柴山:第一次オイルショック後の1975年あたりもそうでしたね。あの当時も「第二の敗戦だ」と言われ、「それまで高度成長を主導してきた総合商社などの企業の体制が、かつての日本軍と同じような集団主義的なものであって、それが第二の敗戦の原因ではないか」という議論が出てきています。

中野:それだけ日本人の頭には「日本が負けたのは集団主義的だから」というストーリーが深く刷り込まれているということですね。

平成が経済の転換点となったもう1つの要因

柴山:平成が経済の転換点となった要因をもう1つ挙げると、これは世代論になってしまうんですが、平成期になって、経営者も政治家もサラリーマン化したことがあると感じます。1989年あたりまでは戦前生まれの世代が社会の中心にいた。1989年つまり昭和64年(平成元年)には、終戦の年である昭和20年に生まれた人が44歳だった。平成は戦前世代が徐々に社会の第一線から退き、戦後第一世代に代わっていった時代なんです。

戦前生まれと戦後世代の違いはやはりあって、インタビューして話を聞いてもかなり違う。戦前生まれの経営者は良くも悪くも頑固で骨がある。状況適応的ではなく、自分で考えて自分で決める、そのために勉強もよくしている。それが下の世代になると、だんだんサラリーマン化していく印象があります。

平成には政治の世界でも田舎育ちの保守政治家が消えていき、都会生まれの比較的高学歴で個人主義的な価値観をもった人たちが政治の中心になっていった。おそらく官僚も学者の世界でもそうだったでしょう。社会のリーダーが戦前の文化の中で育ち、焼け跡からの復興でたたき上げられてきた世代から、戦後の都会の空気の中で育った人たちに交代したことが、時代の潮目が変わる大きな要因ではなかったかと感じます。

久保田 正志 ライター

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くぼた まさし / Masashi Kubota

1960年東京都品川区生まれ。経済系フリーライターとしてプレジデント社・東洋経済新報社・朝日新聞出版社などで取材・執筆活動を行っている。著書に『価格.com 賢者の買い物』(日刊スポーツ出版)。ペンネームで小説、脚本等フィクション作品も手がけている。

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