主人公には多くの人を救うために過去に遡る必然性があったのかもしれない。実際、すべて終わってから振り返れば、過去に戻らなければ邪神ニズゼルファという存在を抱えたまま、ロトゼタシアに恒久の平和は訪れなかったとは言える。
それでも、プレイヤーである僕には過去に遡るだけの必然性は感じられなかった。崩壊後のストーリーが本当に心から楽しめたからこそ、わざわざ崩壊する前に戻って、それをなかったことにする気がまったく起こらなかったのである。本当に選択ができるなら、僕は過去に戻ることを選ばなかった。
ところが、「過去に戻らないルート」というのはゲーム上に存在していない。もちろんプレイヤーが「これでいいや」と考え、ゲームを進めることを放棄することで過去に戻らないことはできるが、ゲームのストーリーが続く以上、プレイヤーにゲームを辞めるという選択肢は存在しない。ゆえにプレイヤーはどうしたって過去に戻る選択をするしかないのである。
過去に戻った主人公たちは命の大樹崩壊前の時点、命の大樹に至る少し前の時点に戻る。そこには確かに死んでしまったはずのベロニカが生きていた。
プレイヤーである自分は困惑しているが、仲間たちにとっては冒険が続いているだけであり、いつもどおりの様子だ。主人公は過去へと戻った記憶を保っているはずだから困惑しているはずだが、ドラクエの主人公の常として「ほとんど意思を表現しない」のでよくわからない。
この時点で、ストーリーは自分の思いとはまったく違った方向に走っていくことになった。僕は主人公を自分に重ねるのではなく「主人公を動かす人」となって、ドラクエXIというゲームをプレイすることになった。
すでにプレイヤーという自分は、時を遡るという最も大きな決断で完全に無視されているのだから、もうそれは主人公のストーリーでしかない。
ドラクエXIが発売されて少し経ったころに「ドラクエを終わらせちゃった人たちへ 終わらないドラクエ」というキャッチフレーズで、ドラゴンクエスト10のCMが流れ、映像には「やり終えて少し呆けた感」のある人たちが映っていたが、過去に戻るという選択を強制された自分がドラクエXIをプレイしている心的イメージはあの呆けた姿である。
極めて微妙な感覚のまま、ゲームを進める
僕はここから完全に割り切って「ゲームとしてのドラクエXIを終わらせること」を進めた。ただクリアに向かって効率よくレベルアップを行い、ひたすら鍛冶に打ち込んで武器や防具を徹底的に強くした。ラスボスに撃ち勝つためというよりは、ゲームを終わらせるためである。過去に戻ることはまったく自分の意思ではなく、その後のストーリーに対していっさい思い入れを感じることができなくなってしまったからだ。
仲間の一人であるカミュのシナリオを例示する。
命の大樹が崩壊した後に、実はカミュには妹がいることが判明する。しかし、とある事情により呪いを受けて動けなくなっている。
その呪いにつけこんだウルノーガの力によって妹は魔物となり、主人公たちの敵として立ちはだかる。主人公たちは苦労して妹の呪いを解くことに成功する。
しかし、これが過去に遡った後のシナリオでは、勇者のつるぎの力によりあっさり呪いを解いてしまうのである。
ストーリー的には時を遡る前では、不意打ちにより、勇者のつるぎの力をウルノーガに奪われてしまう。その結果、命の大樹が枯れ、ウルノーガがカミュの妹などに悪しき力を与えることとなり、主人公たちは苦労する。
一方で、過去に遡った後は不意打ちを防ぐことができる。そのため、ウルノーガは勇者のつるぎの力を得ることができず、命の大樹の崩壊も起こらなければ、カミュの妹も悪しき力を受けることがない。結果として単に呪われた状態を解けば解決ということにはなるのだが、あまりにあっさりしすぎている。
他にも、崩壊後に仲間たちが苦労して得た力なども、この調子であっさりと得てしまうので、どうしても思い入れが浅くなってしまうのである。
また、ウルノーガを倒した後にスタッフロールが流れてしまうために、その後のストーリーの扱いが、あくまでもゲーム後に隠しボスを倒しにいくようなものなのか、それともストーリーのしっかりした続きなのか、極めてあいまいに思えた。
ゲームシステム的に「クリア」といえるのは、過去に戻った後のラスボスであるニズゼルファを倒すことである。しかし一方で本筋のストーリーライン自体は、過去に戻る前のラスボス、つまりウルノーガを倒すことで、一段落ついてしまい、過去に戻った後は蛇足であるように思える。
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