日本人が知らないアフガニスタンを蝕む憎悪 「武器を取って戦う以外の解決方法がある」

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(写真:GARDEN編集部)

サビルラ:アフガニスタンへの注目が減るというのは、すでにアフガニスタン人として経験してきたことで、歴史がそれを物語っています。

1979年からアフガニスタン侵攻を続けていたソ連が1989年に撤退し、東西冷戦で介入していたアメリカもアフガニスタンから去りました。それによって、見捨てられたアフガニスタン国内では内戦のようなものが始まって非常に多くの方が亡くなり、結局テロの温床のような形になりウサーマ・ビン・ラーディンのような人も入り込むようになってしまいました。人々から忘れ去られることで人々が乱れていってしまうという歴史を、すでに経験しているんです。

それはアフガニスタン人の記憶に刻まれているので、今回もまた、世界や日本がアフガニスタンを忘れてしまったのかという印象はやはりあると思います。

戦争に生まれ「力」を信奉した青年時代

:今回、日本でシンポジウムを開催します。そこでまず僕がサビルラさんに一番聞きたいのは、かつては銃を握って戦闘の現場にいたにもかかわらず、今は銃を捨てて平和構築の活動をされている。なぜ銃を捨てたのか、その一番の思いを聞かせてください。

サビルラ:私自身、他のアフガニスタンの人々と全く同じで、戦争に生まれ、戦争の影響を非常に強く受けました。小さな男の子として、どうしてもそうした環境の影響を受けることになりました。パキスタンに難民として逃れることになったのですが、逃れる前も逃れた後も結局、身の回りでは「人々の死」「破壊」「略奪」「家屋の焼却」ということを家の中でも外でも常に見ている状況で、常に自分の身の回りに暴力や力といったものがあったのです。学校で教える科目の中でも銃の話が出てきて、「私のお父さんは銃を持っています」「弾丸が入っています」ということを話すこともありました。そういう意味で、自分を含めたアフガニスタンの人々は、常に戦いの準備ができているという状況にあったのです。

:なぜそこから自分自身が平和構築の活動に身を投じるようになったのか、その理由を教えてください。また、逆に今活動を続けていて難しさやジレンマを感じることはありますか?

(写真:GARDEN編集部)

サビルラ:先ほど、少年時代は力に囲まれた環境で過ごしたとお話ししたのですが、実際自分の気持ちが武装勢力のようになっていました。戦うことでしか勝てないと。青年時代は、「今アフガニスタンに侵攻しているアメリカと戦うには、アメリカを打ち負かすしかない」というような感情でいました。

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