44歳で「発達障害」診断された主婦の苦悩人生 買い物依存も症状の一つ、大人は支援がない

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倉田さんは25歳で結婚するも夫婦そろってうつ病を発症して共倒れとなり、35歳のときに離婚。38歳のとき再婚した。どちらの結婚でも子どもはもうけていない。現在の旦那さんは倉田さんの障害に理解があるため、彼女が衝動的な買い物をしてしまったときでも「あらら」と言うだけで決して責めない。倉田さんも、支払いは現金のみ、できるだけ売り場から離れる、ネット通販だったらパソコンやスマホを閉じるなど、気づいたら対策を取るようにしている。

小学生の頃から書道道具や体操服など、挙げるときりがないほど細々とした忘れ物が多かった。しかし、勉強はよくできた。

「授業を聞いているだけだと退屈しちゃうので、教科書は授業でやっている内容とは別のページを読んでいたり、別の本を読んだりしていました。そうすると、真面目に授業を受けていないと思った先生が私を当てるんですが、それでも私は答えられる。授業の進みが遅いなといつも感じていました」(倉田さん)

ところが、中学校に上がると反抗期のせいか、勉強のやる気もなくなってしまった。さらに、女子特有のグループが倉田さんには理解できなかった。にぎやかなグループには入れず、おとなしい子たちになんとなく混ざっていたが、中3の頃から登校拒否ぎみに。高校は進学校に入学するものの、授業のペースが速すぎてついていけない。ここでも登校拒否となり、先生の勧めで定時制の高校へ転校し、無事卒業した。

ハードな仕事によりうつ病を発症

「当時はフリーター全盛期。高校卒業後は、高校のときから働いていたファミレスのキッチンでバイトをしてフリーター生活を送っていました。その後、22歳の頃、知人の紹介で保険会社の営業へ。そこでうつ病を発症してしまいました。飛び込み営業でノルマがあったので、根を詰めて頑張りすぎたのだと思います」(倉田さん)

このうつ病は、「今考えるとADHDの二次障害だったのだろう」と倉田さんは語る。倉田さんはうつ病を発症する直前に結婚。しかし、間もなく旦那さんもうつ病を発症し、2人とも働けない状態となった。生活保護を受給して暮らしていたが、ケースワーカーから「早く働いてほしい」と言われ、倉田さんは少し体調が良くなると働いた。

しかし、そうするとすぐに生活保護を切られることになる。体調が完全に良くなったわけではないので、半年もするとまた働けなくなり生活保護を受給、という繰り返しだった。倉田さんは働きたいという意思を持っていたが、旦那さんのほうはうつがまったく良くならず、一向に働く気配がない。それが原因で離婚を決めた。

「生活保護に関しては今もバッシングをする人がいますよね。15~16年前は、まだ今のようなブログが一般的ではなかったので、自分のホームページに『うつ病でいくら生活保護をもらっている』『家賃はいくら』『今月はちょっと働けた』などわりと明るい口調で書いたら、2ちゃんねるでものすごくたたかれました。

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