シリアの「化学兵器」を巡る今回の出来事は、日本人である私たちにとって2つの大きな教訓を残したと、私は考えている。
第一に、わが国政府はまたしても「インテリジェンス能力」のなさを、ものの見事に露呈したということである。安倍晋三総理大臣は第二次政権を樹立させて以降、「秘密保全法」の制定に向けて努力してきている。「日本に足りないのはインテリジェンス能力。政府部内の極秘情報が外部に筒抜けなようでは、諸外国から相手にされないのは当然だ。だから法律をもって秘密を漏洩したものは厳罰に処するのだ」というのがその主張である。
マーケットから、事態を読めなかった日本
だが申しわけないが、これは根本から間違っている。インテリジェンス、すなわち「生のデータから“意味”を読み取ったもの」は、何も官僚たちが「マル秘」のハンコを押した文書にだけ記されているものではない。ましてやそれを守るものとして、形だけ「国家情報本部」などというものを作っても、全く意味がないのである。
世界中で活躍するインテリジェンスのプロたちが知っている「常識」。それは「ある物事を巡る真実の95パーセントは、誰でも手に入れることの出来る公開情報(open source)から知ることができる」ということだ。率直にいえばインターネット上で怒涛の如く日々流されている公開情報をどのように分析し、そこから「これからの世界」を指し示す“意味”をどのように正しく析出するかが勝負なのである。
そしてそのことは、何も政府で仰々しく機関ができれば成し遂げられるのではなく、何よりも分析者の教育こそが必要なのである。そして政治のリーダーシップたちは抜群の分析能力を持つ彼ら・彼女らが導き出した“意味”を踏まえて、政策判断すればそれで足りるのである。ただそれだけのことなのだ。
だが今回もまたわが国は、安倍政権の下でそうした能力を全く欠いていることを露呈した。要するに「これからどうなるかが全くわからないまま、ぐずぐずとした」のである。
そうした様子について、わが国における一部の「お茶の間インテリジェンス評論家」たちの中には「安倍総理は、対米追従外交からついに訣別した」などと、政府に対する“お追従”としかとれない発言をしている向きもあるようだ。このときは9月7日(ブエノスアイレス時間)に国際オリンピック総会での2020年夏季五輪開催地決定を控えていたわけだが、そうした向きは「開催地の判断に支障が出ないよう、(安倍総理は)熟慮した」などとも論じている。
しかしこうした「評論」は結局、後付けの感想文に過ぎない。なぜならば「政治(外交・安全保障)と経済は“政経分離”どころか連動しており、むしろマーケットで先に仕掛けたうえで、政治は手段として動かされる」という米欧主導の金融資本主義における大原則からすれば、安倍政権は「2013年8月22日夕刻」の段階で“正しい判断”ができたはずだからだ。
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