「スニーカー狂」がナイキを語ると、こうなる 「そこには文化、哲学、物語、すべてがある」

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アクタガワ:今は、追いかける存在から、追いかけられる存在になったナイキだけど、社風として、ほかの会社のやることにあまり影響されないですね。「アディダスはこうしているから、うちはこうしよう」というのがいっさいない。自分たちのやりたいことをやる。その独立自尊の精神は、ずっと継承されて脈々と流れている気がします。

国井 栄之(くにい しげゆき)/1976年生まれ。ミタスニーカーズのクリエイティブ・ディレクター。1996年にミタスニーカーズ入社。ナイキ、アディダス、ニューバランスなど、国内外のさまざまなブランドと組んで、数多くのコラボレートスニーカーを企画。世界のコレクターが注目するスニーカーを数多く発表している。小学生のとき初めて買ったスニーカーはナイキのコルテッツ(撮影:尾形文繁)

国井:僕が、別注や共同企画という形で最初に仕事をさせてもらったのがナイキでした。彼らは、「チャレンジしよう」という感覚がとても強い。たとえ失敗に終わっても、「だめだった」ではなく「いいチャレンジだった」という報告書で終わらせる。つねに前向きでしたね。

彼らには、このテクノロジーに追従しよう、という考え方はまったくない。他社のスニーカーを見ていたとしても、そこに自分たちの持つイノベーションやアイデンティティを駆使して、つねにゲームチェンジを図りますよね。

榎本:実際にシューズの販売をされていて、ナイキ好きは多いと感じますか?

国井:絶対的に多いです。全員とは言わないけど、スニーカーが好きという人のなかで、ナイキを履いたことがない人はいないと思います。人を惹きつけるブランドですよね。ナイキが次にどんなイノベーションで革命を起こし物事を覆すのか、つねに楽しみなんです。

アクタガワ:ほかのメーカーは堅実ですよね。突拍子のないことはしない。でも、ナイキはやる。それがエアだったり、フライニットだったり。スニーカーは、ソールにEVAという素材を使うようになってから人気が爆発しました。このEVAは当初、ブルックスの独占契約だった。もちろんブルックスは伸びました。でも、ナイキがその素材を使ったら、ちょっと飛躍の角度が違う。みんなをびっくりさせるようなものを出してくる。

スニーカー文化は日本発だった!

榎本:アクタガワさんは、ビンテージスニーカーのコレクター第1世代ですよね。ビンテージものに価値を見いだしたのは日本が最初と言われていますが。

アクタガワ:そうです。世界中の誰と話しても、そう言われます。日本は、ストリートファッションについては本当にリスペクトされていますよ。「ビンテージのものを身に着けることがクールだ」という文化は、完全に日本発のものです。

国井:今で言うコラボレーション文化も日本が先駆けですよね。僕らのようなスニーカーショップとメーカーがコラボレートして、あるモデルをカスタマイズしていくという文化。昔の日本人は、ゼロをイチにする作業に優れていたと思いますが、僕たちの世代は、1を2、2を3にしていくことを求められています。サンプリングやハイブリッド、そこにストーリーを織り交ぜて、それをどんどんアップデートしていく段階に入っている。

榎本:スニーカー文化は、いまではグローバルな価値観になったと思いますが、僕が編集長を務める『シューズ・マスター』も、日本だから生まれたと言えるかもしれません。『シュードッグ』にも日本の企業が登場しますし、日本で生産を行っていたという話が描かれていますね。これは偶然かな?

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