「家事をきちんと」日本人を悩ませまくる呪縛 なぜ夫が全然手伝わない社会になったのか

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日本では、断捨離中だと言うと、「すばらしい」「偉いわ」という反応が多いが、アメリカでは変わり者扱いされるという。正直なところ、かなり驚いた。日本人に比べると、多民族国家・アメリカは、自分たちと違う人に対する許容量がかなり大きい。そうした環境の中で、ミニマリストに「まわりと違う自分でいるには、ちょっと勇気もいる」と言われると、それはかなり変人扱いされているんだ、と思わずにはいられない。

日本のミニマリズムや断捨離は、ある程度の物欲が満たされて初めて行き着くものなのだとすれば、非正規雇用者の拡大する若い層には、厳しい考え方ということになる。

洋服も家具も、自分らしさを探しながらいろいろな物を試し、失敗した先にあるミニマリズムはスタイリッシュかもしれないが、発展途上の若い人たちには、自分を試す機会を奪う、あまりありがたくない考え方なのかもしれない。アメリカのミニマリズムも、日本と同様に豊かさの上に成り立っている。

「家事はきちんと」なんて無視していい

そもそも、家父長制の下ですべてを手づくりして、家事がこなせていたのは、嫁が奴隷のように働かされていたからである。核家族化が進行し、舅姑(きゅうこ)にヤイヤイ言われずに、食や家事を簡便化し、その分家族と過ごせれば、家庭機能は低下なんかしないだろう。

ところが、戦後の家父長制崩壊にあらがうように、政府は戦前の「伝統的な家事」のあり方を核家族に求めた。家事は「きちんと」ちゃんとやらないと、家庭機能が低下する、子どもがちゃんと育たない。そのメッセージの裏に「女性の家庭内の無償労働をいくらでも使える資源と位置づけてきた戦前の経済体制を維持」しながら、武力ではなく経済で世界にのし上がろうという政府の意図があったのだろう。

そう考えると、昭和30年代から繰り返し発信される「家事はきちんと」なんていうものは、無視してしまってよいのだ、と思えてくる。そんなことは、個々の家庭で、こなしていける範囲で、核家族内で分業すればよいだけのことなのだから。

日本の女性は家事を「きちんとする」ことで、「きちんとした」女、まともな母としての評価を勝ち得てきた。床を丸く掃くと、男性なら「まぁ男だから」と許されても、女は「だらしがない」と言われてしまう。家事ができて一人前、家事ができて初めて「きちんとした女」という刷り込みが、女を「きちんとした家事」に駆り立てていく。

家事が人として、女としての評価の基準になってしまうと、病気やけが、老化などで家事ができなくなった女はどうなるだろう? もうご用済み? 役立たず?

『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』(光文社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

そんなことはないだろう。家事ができなくても、妻は妻、母は母ではないだろうか? 家事ができるできないと、私の価値は関係ない。そんな関係を育てていくためには、家事を少し手放してみることも必要だ。

できないことはできないと言い、手伝ってもらう。心の負担になることは、こっそりやめて家族の反応を見る。誰も気がつかなければ、そのままやめても問題ない。家族の予定を把握するだけでなく、こちらの予定も共有してもらい、出かける時の食事は家族で対応してもらおう。

そうやって家族が家事を覚え、自立していくことが、結果的には彼らの生活力を培っていく。家事のやり方、予定などを伝えていくことで会話も増えていくだろう。結局のところ、家事と日々の生活はコミュニケーションなのだから。

佐光 紀子 翻訳家、家事研究家

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さこう のりこ / Noriko Sako

1961年東京都生まれ。1984年国際基督教大学卒業。繊維メーカーや証券会社で翻訳や調査に携わった後、フリーの翻訳者に。とある本の翻訳をきっかけに、重曹や酢などの自然素材を使った家事に目覚め、研究を始める。2002年『キッチンの材料でおそうじする ナチュラル・クリーニング』(ブロンズ新社)を出版。以降、掃除講座や著作活動を展開中。2016年上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士前期課程修了(修士号取得)。家事に関する著書多数。

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