父を病で失った18歳が抜けられない貧困連鎖 タイ人の母親はオーバーステイ状態

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高校卒業後は生活保護の対象から外れるほか、学校が自宅から遠く離れていたため、思い切って一人暮らしをすることにした。新生活を始めるにあたって用意できたのは、テレビと炊飯器くらい。

「なんとかなる」という思いで踏み切った1人暮らしだったが、ユウキさんが進んだコースは実習が多く、アルバイトできる時間は限られた。また、アルバイトをしても、時給はどこも最低賃金水準で、収入は月4万~5万円にしかならない。家賃を払うと、残るのは1万円あまり。

食べるものにも事欠く状態まで追い詰められていたところを、以前、住んでいた自治体の福祉担当者が聞きつけ、現在の自治体の福祉窓口につないだ。もともとこの自治体は、地元に多くある自動車関連の企業への就職が見込める学生などは生活保護の対象としていたため、ユウキさんにも生活保護が支給されることになったという。

困難を持ち前の聡明さと礼儀正しさで乗り越えてきた

ユウキさんと会ったのは、生活保護を受け始め、暮らしが落ち着き始めたころだった。とはいえ、弁当は白米にふりかけを混ぜたおにぎりで、自宅では安いもやしと鶏の胸肉が主食。もともと食が細いとはいえ、1日1食で済ませることも珍しくないというぎりぎりの生活に変わりはなかった。

ユウキさんは「福祉(制度)にはめいっぱいお世話になっています。(自治体の)福祉の担当者も弁護士もみんな親身になってくれて本当に感謝しています」と語る。彼は次々と降りかかる困難を持ち前の聡明さと、礼儀正しく人好きのする人柄で乗り越えてきた。多分、これから先もそうなのかもしれない。

しかし、ユウキさんが貧困の連鎖にからめとられた若者の1人であることは間違いない。彼は大学進学をあきらめたというより、大学に行くなどという選択肢は最初からなかった。周囲の大人がいくら親切でも将来、彼を待っているのは、自己破産という過酷な現実であることに変わりないのだ。

「夢のある人がうらやましいです。僕には特に夢はないので。僕が自動車関連の学校を選んだのは、父親が車好きだったからです。将来、自動車整備士になるか、販売店で働くことができれば、お墓の前で報告できるでしょう」

ユウキさんはどこまでも健気だった。しかしその健気さは、貧困の連鎖ひとつ断ち切ることのできない社会の貧しさを浮き彫りにしているようにも見えた。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
藤田 和恵 ジャーナリスト

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ふじた かずえ / Kazue Fujita

1970年、東京生まれ。北海道新聞社会部記者を経て2006年よりフリーに。事件、労働、福祉問題を中心に取材活動を行う。著書に『民営化という名の労働破壊』(大月書店)、『ルポ 労働格差とポピュリズム 大阪で起きていること』(岩波ブックレット)ほか。

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