妻は「がんで死へ向かう夫」をどう見つめたか 現在進行形で進むノンフィクションの凄み
植本の眼は、高性能のカメラレンズのように、日常の微細な部分までを照らし出す。それは普通の人が無意識のうちに「見ないようにしていること」まで炙り出してしまう。そうやって提示される事実を前にして、ぼくたちは時にたじろいでしまうのだ。
病院からひさしぶりに家に帰ってくる夫。そんな夫を疎ましく思う気持ちが正直に綴られる。これを読んであなたは「ひどい」と感じるだろうか。だが長患いや要介護の家族を抱え、同じような思いが心をよぎったことがあるという人は多いはずだ。
他人よりも「見えすぎる眼」を持ち、そして嘘がつけない性格であることは、時に残酷な事実を自分自身に突きつけもする。
苦しむ夫を傍らに、その夫との間に絶望的な距離が生じてしまっていることに気づく。なんと残酷なことだろう。
若い男と半日のデート
夫が入退院を繰り返す中、ある日植本は若い男に会いに行く。恋人ではない。会ったことはないが顔が好みだと思ったミュージシャンに「写真を撮らせて欲しい」といきなりDMを送ったのだ。
吉祥寺界隈でのこの半日のデートはさながら短編小説のようだ。旦那さんがいるけど多分死ぬんだ、と打ち明ける植本の気持ちを、この青年は真っ直ぐに受け止める。たとえ親しい間柄でなくとも、ただ誰かと一緒にいるだけで、人は救われることがあるのだと気づかされる。
だがそれから間もなくECDの癌の転移が明らかになる。今年の6月13日(火)のことだ。この日は雨だった。
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