1. 「日本の名作ドラマ」とは日本で制作・放映され年月を経ても評価が失われないテレビドラマのこと
2. 日本初のテレビドラマは1940年にテレビの実験放送用に制作されたNHKの「夕餉前」(脚本:伊馬鵜平)
3. 15分程のホームドラマで4月13・14日の二日間、東京・世田谷区NHK放送技研のスタジオから生放送された
4. 当時はまだ録画技術がなくドラマも生放送だったため、息子役の俳優が放送当日の新聞を読む場面があった
5. その映像はNHK東京放送会館や愛宕山の演奏所(現・NHK放送会館)の常設テレビ観覧所の受信機に送られた
6. その後、太平洋戦争をはさんで日本でテレビの本放送が始まったのは1953年2月1日のこと
7. テレビドラマは生放送かフィルム制作が中心だったが、1956年に米国で「2インチVTR」が開発される
8. 1958年には日本も導入し、同年、大阪テレビ放送「ちんどん屋の天使」において初めてビデオが使用された
9. 本作は生放送ではできない演出にこだわり映像合成によるひとり二役に挑戦。主人公はミヤコ蝶々が演じた
10. しかし当時のテレビドラマは内容もシンプルで大衆から「電気紙芝居」と揶揄されることも多かった
それまでの認識を覆すテレビドラマの誕生
11. その認識を覆したのが同58年10月にラジオ東京テレビ(現・TBS)で放送された「私は貝になりたい」だ
12. これは三洋電機の一社提供による「サンヨーテレビ劇場」枠で放送された単発ドラマで、放送時間は約100分
13. 元陸軍中尉・加藤哲太郎の手記の遺言部分をもとに脚本家・橋本忍が創作したストーリーで岡本愛彦が演出
14. 本格的なビデオ技術を駆使し、理不尽な軍事裁判で死刑宣告された理髪師の苦悩をフランキー堺が好演した
15. 劇中には実際の極東国際軍事裁判で東條英機元首相が判決を言い渡される映像も使用され大反響を呼んだ
16. しかし当時の視聴率調査は現在と異なり年に数回、期間を限定して行われるもので、このドラマの記録はない
17. 放送後、「私は貝になりたい」は第13回文部省芸術祭で芸術祭賞を受賞。〈ドラマのTBS〉を築く礎となった
18. 1960年代に入るとビデオ機材やテープも普及し、ドラマも生放送から収録する形へと移行していく
19. 1961年4月、NHK連続テレビ小説がスタート。一作目は獅子文六の自伝的小説をドラマ化した「娘と私」
20. 同年10月、テレビ朝日は日本初となる〈1 時間もの〉の連続ドラマ「特別機動捜査隊」をスタートする
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