自分の「トレードマーク」は1日にして成らず 伊達男と元祖おしゃれ番長が語る装いの効能
野宮:小学生のときからおしゃれだったんですね。さすが。
横山:今以上に、ファッションに夢中だったかもしれないです。
野宮:1970年前後は、既製品でおしゃれな子供服がなかったですよね。私は北海道だったからなおさらで、洋裁が得意な母に「こういうのを着たい」とお願いして作ってもらっていました。母は、みんなと同じであることよりも似合う着こなしを大事にする人だったので、制服のスカートもどんどん丈を短くして、「こっちのほうがかわいい」って。それで先輩に目をつけられたりしたけど、このときに人と同じじゃなくていい、という哲学が身に付いた気がします。
母親に「VANに就職して」
横山:いい話ですねえ。僕は、石津謙介の「VAN」というブランドの子供ライン「VAN MINI」が好きだったんです。メンズショップで扱いがあったんですけど、高くてなかなか買えなかったので、仕事先を探していた母親に「VANに就職して」と言いました。社割目当てで。
野宮:社割なんて知ってたんですね(笑)。
横山:なんとなくあるだろうなと思って。ところが、VANは社員を募集していなかったんです。そこで、VANの取り扱いがある子供服売り場を調べたら、渋谷の西武デパートのB館4階に見つかったので、母親にそこで働けと言いました。そこはほかのメーカーも扱っているから、欲しいものがすべて社割で手に入るぞと。
そこで母親がパートで働き始めると、営業時間が終わる頃に店に行って、「これとこれが欲しい」と言って、社割で買ってもらってました。
野宮:お母様の巻き込み方がすごいですね(笑)。小学生の剣さんが、VANのお洋服を格好良いと思ったのはなぜ?
横山:やっぱりレーシングドライバーの影響ですね。日本のレース界に、ああいうスタイルの人が多かったので、ファッションをまねて、そういう人たちがたまっていそうな場所にストーカーしに行きました(笑)。ホテルオークラとか、飯倉のキャンティとか。