「ヘイト投稿」がネットで容認される不可思議 ソーシャルメディアはどう対応するべきか
しかし、こうした言葉による残虐行為に耐えるというのはおかしくないだろうか? そんな言い分で癒やされることがあるのだろうか? リンボー氏のように、自らの誇示行動で豊かな生活をしている人が口にする偏見のために、人々は苦しむ必要があるのだろうか?
こうした行為を拒絶する動きも広まっており、少なくとも欧州ではこれが政治レベルのアクションにまで達している。欧州委員会のヴェラ・ユヴロヴァ司法局長は、フェイスブックやツイッターのようなSNS大手企業に対して、ヘイトスピーチとフェイクニュースをSNS上から削除するように求め、もしできないようであれば罰すると伝えた。
フェイクニュースを見極めるのは難しい
これはやや行き過ぎた発言ではある。というのも、実際に重大な意味をもつかもしれないことから、その真意を取り除いてしまったら、私たちは「危険だ!表現の自由の危機だ!」という合言葉で何でも片付けてしまい、その発想から抜け出すことができなくなるからだ。
フェイクニュースは、ヘイトスピーチとは同じではないが、これもまた社会的緊張感につながる。イタリアでは、独占禁止法当局トップのジョバンニ・ペトゥルツェラ氏が、フェイクニュースを削除するだけでなく、こうしたニュースを掲載するメディアを取り締まる政府機関を、EU加盟国はそれぞれ設立するべきだと主張している。しかし、どのようにして(人工知能であれ人間の知能であれ)真実のニュースとフェイクニュースを区別すればいいのだろうか。
「真実である」ように努めるニュースの中に間違った情報が含まれてことがあれば、多くのフェイクニュースの中に真実が隠されていることもある。ニュースが「誤っている」ことを証明するには、注意深い調査が必要になるため、これは極めて難しい業務となるだろう。
一方、ドイツでは先頃、ヘイトスピーチが掲載されている複数のデジタルプラットフォームを取り締まる新たな法律が発行された。