この頃の仕事で印象に残っているのは、泉谷しげると忌野清志郎へのインタビューだという。取材中、マサヤさんは突然「人のためによかれと思い~」と泉谷の「春夏秋冬」を歌い出したかと思うと、インタビュー後に清志郎と握手を交わしたことを興奮ぎみに振り返った。2人のインタビュー記事は今も額縁に入れて部屋の壁に飾ってあるという。
生活は編集現場にありがちな昼夜逆転で、多忙を極めたが、年収は約650万円。トイレ風呂なしのアパートからワンルームマンションへと引っ越しし、後に籍を入れることになる女性と同棲を始めた。
一方、メンタル面は依然として不安定で、長期間にわたって出勤できなくなることもあった。そんなとき、新たに受診した病院で双極性障害と診断される。「心身ともに疲れていても自覚できず、さらに頑張ってしまうことがありました。今思うと、あれが躁状態だったのかと、ようやく腑に落ちました」とマサヤさんは言う。
30代半ばを過ぎたある日、面倒を見てくれた上司から呼び出され「お前、いつまでやるの?」と切り出された。バブル景気はとっくに崩壊していた。リストラ勧告にも見えるが、マサヤさんの受け止め方は違う。
「もともとフリーになるつもりでしたから。この週刊誌の読者層は20代から30代半ばの男性で、自分がその年齢を超える前に辞めようと思っていました。たびたび休んで会社には迷惑もかけていましたし、自分から“辞めます”と言うつもりだったんです。上司は“早くフリーになって頑張れ”という意味で背中を押してくれたんだと思います」
独立後は雑誌などに記事を書く傍ら、コールセンターやコンビニでも働いたが、体調も思わしくなく、消費者金融やカードローンによる借金は膨らむ一方。小説の新人賞などにも何度か応募したが、いずれも結果は出なかった。借金が900万円近くまで達したときに自己破産。妻もうつ病で、夫婦ともにフルタイムの就労は難しく、10年ほど前から生活保護を受けるようになり、現在は家賃込みで毎月約19万円を支給されている。
ケースワーカーからのプレッシャー
業界での浮き沈みや借金生活について語るマサヤさんに悲壮感はない。それよりも、自身の小説に対して有名作家らが寄せてくれたアドバイスや、最近の若手編集者は質が落ちているといった不満についてユーモアを交えながら精力的に話し続けた。そして、その勢いのまま生活保護制度やケースワーカーの批判を始めた。
マサヤさんによると、ここ1年ほど、担当のケースワーカーから「半年以内に仕事を決めて自立してください」「働かないと保護を打ち切ります」とプレッシャーをかけられるようになった。このためハローワークに通ったが、双極性障害のほかに過活動膀胱で頻繁にトイレに行かなければならない自分にできる仕事はなかなか見つからない。
1度、妻が小さな会社に就職したが、飛び込み営業を強いられた揚げ句、時給を最低賃金以下に引き下げられた。すぐに辞めたものの、このときは、行政から支給される就職支度金では足りず、わずかな蓄えからスーツや靴、コート代などを捻出したのに、すべて無駄になったという。彼がケースワーカーへの不満をまくしたてる。
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