「セックスは善」を世界に普及させた男の偉業 享年91、プレイボーイ創刊者は桁違いだった

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ビバリーヒルズで2011年9月撮影(写真: ロイター/Fred Prouser)

9月27日(日本時間28日)、米国『プレイボーイ』誌の創刊者として一大メディア帝国を築いたヒュー・ヘフナーの訃報が伝えられた。享年91、老衰による大往生だったようだ。

ヒュー・ヘフナーといえば、深紅のガウンをまとい、豪邸で美女をはべらせる晩年のイメージが強い。若い世代にとっては、まさしくその忌まわしいイメージしかないことだろう。

だが彼の生涯を紐解くと、この文化的アイコンが、センセーショナルなピンナップ写真を売って財を成した自堕落な快楽主義者などではないと気づく。ヘフナーは、時流の変化を的確にとらえて革新的なメディアを作り続けた天才ビジネスマンであり、すぐれた才能を発掘し、圧倒的な発信力で米国のアートと言論に新しい風を吹かせた稀代のプロデューサーだった。そして、革新的であるがゆえにあらゆる既存勢力の標的となりながら、いちはやく公民権運動に共鳴し、マイノリティーの起用と言論によって、人種差別と毅然と戦った気骨ある正義漢だった。

はじまりは「洗練された男性のための雑誌」

ヒュー・ヘフナーは1926年、シカゴで厳格なプロテスタントの家庭に生まれた。学生時代は漫画や映画が好きで、クラスメイトから人気があるおとなしめの普通の学生だった。卒業後、いくつかの雑多な仕事を経て『エスクァイア』誌の広告部門に就職したものの、単調な仕事にあきたらず退社。1953年、家具を担保にした600ドルあまりの自己資金と、家族や友人からかき集めた合計8000ドルの資金を元手に、新しい男性誌『プレイボーイ』を創刊する。

当時、男性向けの雑誌といえば、『エスクァイア』誌を除けばスポーツや釣り、狩りといった趣味の雑誌がほとんどだった。戦後の保守的な空気のなかで「男らしさ」とは、結婚して仕事をし、郊外に一戸建てを構えて家族を養うことだった。

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