「セックスは善」を世界に普及させた男の偉業 享年91、プレイボーイ創刊者は桁違いだった

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1970年に撮影されたヒュー・ヘフナー(写真:AP/アフロ)

ヘフナーが後押ししたのは、進歩的で洗練された大人の男性にとって、もはや人種差別の容認はおしゃれではないという空気を作ることであり、身をもって証明したのは、成功と富は、社会正義に反して築くものではなく、それを実現可能にするものということだった。

世界が受けた恩恵は、弊害を大きく上回る

1970年代になるとプレイボーイ社の業容はさらに拡大し、雑誌の発行部数は700万部に達する。だが、ここがピークだった。

1980年代になると、多様な男性雑誌が登場し、目新しさをなくした『プレイボーイ』誌の発行部数は減少していく。ロンドンのカジノのライセンス停止により財務的な苦境に立たされると、ヘフナーは長女に経営をまかせ、2度目の結婚による家庭生活を楽しむようになった。その後も編集には携わり続けたが、晩年は、60歳年下の女性との結婚生活の内幕が漏れたり、元ガールフレンドによる暴露本が出版されたりするなど、残念なニュースも多かった。

『プレイボーイ』誌が世界を席巻したことで性の商業化がすすんだことは確かだし、こうした雑誌が上質な暮らしへの憧れを喚起しながら、節操のない消費文化を煽っていた側面もあるかもしれない。だが改めて振り返ると、ヘフナーの登場により世界が受けた恩恵が、その弊害を大きく上回るように思う。

この天才事業家の軌跡は過去半世紀の米国文化史そのものであるだけでなく、差別や規範への勇気ある挑戦は、いまもくすぶる人種間の対立や、いまなお我々を後ろ向きにさせるいくつかの社会規範に照らしてみるほど、賞賛せずにはいられない。

ヒュー・ヘフナーの生涯とプレイボーイ社の盛衰については、今年春にアマゾン・プライムでリリースされたドキュメンタリードラマ『プレイボーイ〜創刊者ヒュー・ヘフナーの物語』に詳しい。このシリーズは、ヘフナー本人のほか、家族やプレイボーイ社の従業員、当時の社会活動家などのインタビューをまじえ、ヘフナーの生涯を時系列的に、豊富な歴史的映像とともにたどれる見応えのある作品になっている。

脇坂 あゆみ 翻訳家

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わきざか あゆみ / Ayumi Wakizaka

訳書にアイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』(アトランティス社)、『われら生きるもの』(ビジネス社)。イタリア映画「Noi Vivi」の字幕翻訳も。ランドの作品を翻訳するかたわら、アメリカのリバタリアン思想や政治文化の動向をウォッチし続けている。ジョージタウン大学外交大学院修士課程修了。米国公認会計士。

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