「ヒカキンが目標」痛いユーチューバーの末路 「自分という商品の売り方」を知らなすぎる

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さらにネットへ商品を登録する作業、注文が来るとすぐに発送する作業、と手間がばかにならない。いつ来るかわからないネット注文に対応するため休めず、忙しいうえに、売れても利益は1冊当たり数十円から数百円とわずかだ。疲れ果てた彼は在庫の含み損を抱えたまま「これからはユーチューバーの時代だ!」と言いだし、せどりからユーチューバーへ転身した。その結果は、先ほど紹介したとおりだ。

ヒカキンはなぜ日本一になれたのか?

このように、世の中には同じことをしているのに「稼げる人」と「稼げない人」がいる。せどりにせよ、ユーチューバーにせよ、ヒカキンやヒカルのように「稼げる人」はいるものだ。いったいその差はどこにあるのだろうか?

ユーチューバーになるのは簡単だ。スマホがあれば動画の撮影とアップはすぐにできる。せどりも同じで、本を仕入れてアマゾンやメルカリで売るぐらい誰でもできる。つまりユーチューバーもせどりも参入障壁が極端に低いのだ。すぐにできるからこそ、ユキオの例のように「自分も稼ごう」と思う人は多くなり、過剰な競争を強いられる。

しかし、成功して実際に食えているユーチューバーはごく一握りであり、ヒカキンやヒカルのように億単位の収入を得て大成功する例はさらに少ない。サッカーや野球のプロ選手のように、晴れ舞台で脚光を浴びるのはごく一部しかいない「超競争市場」なのだ。超競争市場で必要なのは、「圧倒的な差別化」である。つまり、個人には「圧倒的な強み」が求められる。

ヒカキンの「圧倒的な強み」はヒューマンビートボックスだ。もちろん、生まれ持った才能だけではない。中学2年のとき、彼はテレビCMでヒューマンビートボックスに出合い、「神だ!」と思ったという。朝から晩まで楽器になりきり、自己流で練習にのめり込んだ。

高校1年のとき、次に出合ったのがサービス開始直後のユーチューブだった。ヒカキンはユーチューブにも夢中になり、2006年12月には”HIKAKINチャンネル”を開設した。すぐに成功したわけではない。高校卒業後、彼は上京して会社の寮に入った。スーパーの販売員をしながら、仕事以外の時間はすべて、ヒューマンビートボックスとユーチューブに身も心も捧げる生活を続けた。

そして、ヒカキンは満を持してユーチューブで広告収入を得ようと「パートナー」の申請をした。ところが、これが却下されてしまう。これがバネとなって「ユーチューブ側からオファーされるようになってやる!」と考えるようになり、視聴者側の視点に立った動画作りを心掛けるようになった。

2010年6月、ヒカキンは冒頭で紹介したスーパーマリオのビートボックスを公開した。これが24時間後に20万アクセス、1週間後に100万アクセスを記録。ついにユーチューブ側からパートナーシップ参加のオファーが来た。夢中になってワザを磨き続けたヒューマンビートボックスという「圧倒的な強み」に、視聴者目線でカイゼンを続けた動画作りが合わさることで、初めて「日本一のユーチューバー」が生まれたのだ。

ユキオは「簡単に儲かりそうだから」とせどりやユーチューバーを始めた。一方で、日本一のユーチューバーであるヒカキンはヒューマンビートボックスや動画作りが「面白くて仕方がない」という。小さく見えるこの差が、実はとてつもなく大きいのだ。人は夢中になると次々とむずかしいワザに挑戦して、誰もまねできない「技術」を身に付ける。ヒカキンはヒューマンビートボックスで、世界的なロックバンドのエアロスミスとの共演まで果たしている。

人は「面白くて仕方がない」と、どんなことからでも学ぶことができる。スーパーの食品売り場で販売員をしていたとき、ヒカキンは仕事で手を抜かなかった。買い手の立場で商品のラインナップを考え、新商品を試し、商品を売るためのPOPを作ったそうだ。この経験から得た「技術」や「知識」が、見る人の視点に立った動画作りや、商品紹介でとても役立っているという。

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