東大が「東京六大学野球」で戦い続ける意味 9日に開幕、連続最下位から抜け出せるか
1926年秋、摂政殿下(のちの昭和天皇)が神宮球場で東京六大学リーグ選抜試合を観戦され、摂政杯を下賜することを決められた。戦時中の1943年4月、文部省(当時)の通達で東京六大学リーグはいったん解散することになった。そのとき、摂政杯を宮内省(当時)に返還した。1946年春にリーグを再開したとき、宮内省で侍従職に就いていた東大OBの戸田康英氏の尽力があって、摂政杯に代わる天皇杯が東京六大学リーグ優勝校に下賜されることになった。
こうした歴史から、東京六大学リーグにおいて東大が重要な役割を果たしてきたことがわかる。東大を率いる浜田一志監督は言う。「我々には東大が日本野球の開祖であるというプライドと、リーグ加盟時の約束を果たしたいという気持ちがあります。歯を食いしばって、優勝という夢に向かって一歩ずつ階段を駆け上がっていきたいと思います」。
東大野球部の3分の2は大学受験で浪人
東大の現段階での目標は「勝ち点奪取と最下位脱出」だ。とはいえ、現実的にはリーグ内の他大学との戦力差は大きい。早大、明大、法大にはスポーツ推薦入試があり、慶大にはAO入試、立大にはアスリート選抜入試などがある。早大には早実、慶大には慶應義塾高など系列の強豪校もあり、甲子園経験者や実力のある選手を一定数は確保できる。だが、東大には野球強豪校の系列校もスポーツ推薦制度もない。いくら野球で有能な高校生でも、超難関の東大入試を突破しなければならない。
現在の東大野球部の部員数は87名。毎年20名前後の新入生が入部してくる。エース左腕の宮台康平(法学部4年・湘南高校出身)や主将の山田大成(教育学部4年・桐朋高校出身)のように、現役合格を果たして入部してくる選手はそのうちの約3分の1だ。
宮台は最速150㌔を誇り、東京六大学リーグ通算4勝を挙げている。昨夏に左肩を痛めたことから、昨冬に肩への負担が少ないフォームに修正。新フォームの習得過程にあった今春は0勝3敗と不本意な投球だったが、進路はプロ一本に絞っており、今秋の投球をプロのスカウトが注目している。
宮台は東大を志望した理由を「高3の夏に負けると思っていなかったところで負けて(神奈川大会3回戦敗退)、悔いが残った。東大ならレベルの高い東京六大学で野球ができる。どうせなら一番を目指そうと考えました」と話した。
高2の冬に東大を意識し始め、3年春から予備校に通い始めた。高3の8月には東大野球部の練習会に参加。そこで開催された「野球部流合格講座」で塾の経営者でもある浜田監督から合格の秘訣が伝授された。それを参考に1日10時間以上の受験勉強を続けた結果、現役で合格した。
山田は1年秋から遊撃手のレギュラーを務めている。パンチ力のある打撃が持ち味で、東京六大学リーグ戦で通算3本塁打を記録。攻守でチームを引っ張る存在だ。卒業後は一般企業に就職する。
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