子どもが間違った報道に踊らされないために 出す側の理屈と受け手の注意を絵本で学ぶ
「子供のうちに学ばないと遅いですね。フェイクニュースが現れたことで、逆にファクトチェックのページや団体ができてくると、今度は『どこのファクトチェックが正しいんだ』というファクトチェックで、イタチゴッコですよね。結局そうなってくると『メディアなんか信じない』ということになって、逆に自分が気に入ったどこか一箇所に帰依してしまうことになれば、情報の血の巡りが悪い社会になってしまう。たまたま出会った情報だけを信じてしまうっていうことは、どんどん社会の分断が進むばかり。やっぱりそこで『自分が最初に出会った情報はこうだけど、他の情報もあるのか』と受け止めるキャパシティーを残しておかないと。まだ子供の頃から、『情報ってこういう取り方をするんだ』というのを本当に身に染み込ませたいと思います。」
カナダでのメディアリテラシーとの出会い
下村さんがメディアリテラシーと出会ったのは、1990年代にカナダへメディアリテラシーの授業を取材したのがきっかけでした。その授業では、広告の制作実習を行ったり、実際におもちゃ屋さんへ出向き、広告の効果を議論したりと、発信者の立場で考えることに重きを置いていたと言います。
「自分が出す側に回った瞬間、『これはトリックというよりも伝えやすくしようと思ってやる工夫なんだ』と分かる。宣伝の時は『工夫』で済むが、ニュースだと伝えようと思って分かりやすくしようと思った工夫が、あるイメージに縛り付けてしまう恐れがある。そこは受け手の側で注意しましょうねと。」
カナダで見たメディアリテラシーの授業に感化された下村さん。しかし、日本で伝える際には、選ぶ言葉を意識していると言います。
「メディアを批判的に受け止めようという言葉が、英語での『critical(クリティカル)』と『批判的』という日本語では感じが違う。『批判的』と言うとどうしても『相手を嘘つきだと思え、疑え』みたいな感じがする。それはずっとメディアでやってきた人間として『冗談じゃない』という思いがあった。何の悪意もないけれど、それでも人がある情報を伝えるときには全部は伝えようがない、ある切り取りはせざるを得ない。それを、冷凍食品を食べる前に解凍するように、もう一回情報を受け取った人が広げましょうよと。だから『疑え』ではなくて『窓を広げよう』。まさに、今回の絵本のタイトルです。明るい話なんですよ、メディアリテラシーは。」