トークライブを編み出した元左翼の波瀾曲折 「新宿ロフトプラスワン」はこうして生まれた

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そして、新宿の富久町(後に歌舞伎町に移転)に「新宿ロフトプラスワン」が完成した。最初の頃は、平野さんの古くからの友達が中心に出演していた。しかし、なかなか著名人は壇上に上がってくれなかった。オファーすると「酒の席で喋る? ふざけるな!」と怒られた。

「酒の席だからいいんじゃないか。酒を飲みながら話すから、本音が出て面白い話を聞き出せるんじゃないか、と思ったけどね」

新宿ロフトプラスワン(写真:筆者提供)

と出だしは、少しつまずいたが、ある時から客が入り始めた。それまではマスコミに出なかった人、たとえば映画製作のスタッフや、特撮モノのスーツアクターが出演して、作品を作った時の話を話したのが受けたんじゃないかと、平野さんは分析している。

際どい破天荒なイベントも開催した。本物の暴力団員をステージに乗せて、客の質問に答えてもらったこともあった。アダルト系のイベントでは、今では絶対に許されない破廉恥なことを壇上でしていた。

トークライブ文化は成熟しつつある

オープンから20年が過ぎて、今は5軒の系列店が、毎日イベントを開催している。

「トークライブ文化は成熟しつつあるんじゃないかな? 外国にもない文化だと思う」

平野さんは、なぜ今までにないまったく新しいお店を作ることができたのだろうか? どうやって、発想したのだろう?

「何より『テーマを立てる』ことだね。テーマ自体はシンプルなものでいい。『はっぴいえんどが生演奏できるライブハウス』『面白い人がトークしているのを見る居酒屋』とかね。いったんテーマを決めたら、とにかくそこに向かっていくしかない。自分で決めたテーマなんだし、進むしかない」

平野さんは、今人生最後のテーマをかかげて、お店をオープンしようとしているという。

「『ロック喫茶』であり『ロック居酒屋』であるお店をやりたいと思ってる。俺たちが青春時代にガンガンにロックを聞いたような店をもう一度作りたい」

お昼の12時から夕方6時までは、とにかくガンガンにロックをかけて、おしゃべりをさせない。夜はおでんを食べ、みんなで話しながらロックを聴くことができる、そんなお店にしたいと平野さんは構想している。

「ここからの10年はもう一度、体で真正面から音楽を聴こうって時代に入っていくと思うんだ。まあ10年後には俺は死んでるだろうけどね。とにかくいいスピーカーで爆音でロックを聞かせてさ。若い子たちを蹴散らしてやろうと思ってるんだ」

そう語る平野さんは、将来の夢を語る若い子たちのように、キラキラしていた。

村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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むらた らむ / Ramu Murata

1972年生まれ。キャリアは20年超。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海などへの潜入取材を得意としている。著書に『ホームレス大博覧会』(鹿砦社)、『ホームレス大図鑑』(竹書房)など。

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