休日に「ボーッとできない」を乗り越える方法 「無心になる」は練習次第で習得できる

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そんな風船たちが窓外をふわふわと飛んでゆくのを、バスタブにくつろいでボーッと眺めているような心持ちに、保ってみます。

こういった距離感がわかってくると、何か考えてはいるのだけど、その考え、つまり窓外の風船たちは、内容も詳しく見えないし、その考えへの興味が薄れてくるはずです。

重要なポイントは、こうです。「あの人、嫌な人だ」とふと思い出しても、「窓の外の風船だなあ」と放っておき、興味を持たなければ、その考えに別の考えが連鎖しなくなります。連鎖とは、たとえば「あの人、嫌な人だ」→「だって、あんなことを言うなんて」→「でも、こうやって嫌って敵をつくるのもよくないからな」→「でも、あの人のせいだから仕方ない」→ ……など、など。

こうした連鎖がズラズラ続くと無駄に消耗するものですね。ところが、「そんな考えも窓の外に勝手に飛んでいくみたいだけど、ま、いっか」と興味を持たなければ、それ以上は連鎖せずにパッと終わってしまうのです。

その考えは消えたとしても、また、新たな別の考えが湧いてきはするでしょう。

そういうときも、「ま、いっか」です。次々に風船が飛んでくるようなもので、どれも相手にしないでボーッと眺めておきましょう。

「明日はどうなるかな」、それも、「ま、いっか」と考えれば、それ以上続かない。「夕飯はどうしようか」、それも、「ま、いっか」。「今、何時だっけ」「ま、いっか」。「犬の声がするな」「ま、いっか」。

そんなあんばいに、すべての考えも感覚も、ボンヤリと流して引っ掛からないようにしてみてください。

すると、何も気負うものがなくなって、心の底から休息しているのを、感じることでしょう。

眼鏡を外して神経細胞からの文書を眺める

もう一つ、イメージを提案してみます。それは、ボーッとしているときに浮かんでくる考えを、官僚が政治家を操ろうとして政治家に対して上げてくる文書として、イメージしてみてください。

どういうことかといえば、ボーッとしているはずが勝手に湧き上がってくる考えは、「私が」作り上げた「私の」考えだとは、必ずしも感じられないでしょう。それはあたかも、頭の中に膨大な数の神経細胞たちという名の官僚たちがいて、次々に「こうしろ」「ああしろ」「こう思え」「喜べ」「怒れ」などと、思考という名の文書を送ってくるようなものです。

平素は、これらの文書を「そのとおりだ!」と思い込んで、すべて実行して生きていますが、徹底してボーッとするにあたっては、次のようにイメージしてみてください。

どんな思考が湧いてきても、そうした思考や喜怒哀楽の一つひとつを、官僚から上げられてきた書類一枚一枚としてイメージします。そのうえで、それらの書類をボンヤリ眺めて、「何が書いてあるのかきちんとわからないなあ」と焦点が合わないような具合にしてやるのです。

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