G.G.佐藤が妻とともに送った波乱の野球人生 「死にたい」とまで漏らした男をどう支えたか
そして、焦りを振り払おうと、毎晩、深夜まで練習を続けたことで、隆彦さんの体は、限界にまで追い込まれていたのだった。隆彦さんは、結局、この年、一度も1軍でプレーすることがないまま、8年間所属した、西武からの戦力外通告を言い渡された。
野球をあきらめきれない隆彦さんは、クビになった選手たちの合同テスト「トライアウト」に参加した。しかし、どこからも声は掛からなかった。
失意の2人が、新天地に選んだのは、異国の地イタリア。隆彦さんは、イタリアのプロリーグで、野球を続けることに。イタリアで野球はマイナースポーツ。プロといっても、設備すら整っておらず観客は、多くても500人ほど。野球を知らない人のために、ルールの説明が、球場に掲げられている。
選手の給料は、月20万円程度。日本とは、かけ離れた環境のこの地を隆彦さんは、あえて選んだ。野球を続けるため、ただ、それだけではなく、日本から離れることで、もう一度、家族の絆を取り戻したかったのだ。
隆彦さんは、1年間イタリアでプレーし、家族と共に帰国。そして1カ月が過ぎた頃、隆彦さんにうれしい話が舞い込んだ。
「うちの入団テスト受けてみないか?」
戦力外通告から、すでに1年。そんな隆彦さんに声をかけたのは、千葉ロッテマリーンズの監督に就任した、伊東勤さんだった。かつて、西武ライオンズの監督だった伊東さんは、隆彦さんを見いだしてくれた、いわば恩師。その恩師に直接声をかけられ、千葉ロッテの入団テストを受けることに。日本球界復帰の、大きなチャンスだった。
隆彦さんは、このチャンスをものにし、千葉ロッテに入団した。入団後の試合では、全盛期を彷彿とさせる豪快な1発を撃ち、野球ファンに、「G.G.佐藤」の健在ぶりを見せつけた。
そして、戦力外通告からの奇跡の復活を、誰よりも喜んでいたのは、真由子さんだった。
夫婦で、どん底からの奇跡の復活
そんな真由子さんのお腹に、待望の第2子が宿った。どん底に突き落とされた、あの流産から3年。喜びも、ひとしおだった。真由子さんは、待望の男の子・隆之介くんを出産。さまざまな悲劇を家族で乗り越え、そして、生まれてきたわが子。その喜びは、何物にも変えがたいものだった。
真由子さんは、2人の子どもを連れ、隆彦さんの試合の応援に出掛けた。隆之介君に、「パパは、プロ野球選手だよ」って、教えるために。この日の隆彦さんは、4番レフトで先発出場し、ヒットは出なかった。それでも、真由子さんは、元気にプレーする夫と、応援する子どもたちの姿に、幸せを感じていた。
ただ、一度乗り越えたとはいえ、戦力外通告はプロ野球選手の宿命だ。隆彦さんは、2014年2軍での日本一に貢献した直後の10月4日に戦力外通告を受け、36歳で現役を引退した。今はビジネスマンとして一般企業で活躍する。波乱万丈ながらも人々の記憶に残る選手として野球人生を送れたのも、真由子さんの支えがあってのことだった。
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