G.G.佐藤が妻とともに送った波乱の野球人生 「死にたい」とまで漏らした男をどう支えたか

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翌日の、銅メダルをかけて臨んだ、アメリカとの3位決定戦でも、隆彦さんが落球。その手痛いミスをきっかけに、この試合も敗れた日本代表は、メダル獲得を逃したのだった。待っていたのは、激しいバッシング。隆彦さんは、その矢面に立たされた。

戦いを終えた夜、真由子さんの元に、1通のメールが届いた。そこには、「死にたい」という隆彦さんの悲痛な叫びがあった。真由子さんは、すぐさま、日本代表の宿舎に駆けつける。そこには、いつも明るい夫からは想像できない気落ちした姿があった。

真由子さんはあまりにも落ち込んだ隆彦さんの姿に、言葉をかけることすらできなかった。日本に戻って、数週間が過ぎても、隆彦さんは魂が抜けたように、笑顔をなくしたままだった。

「なんとか立ち直ってほしい」。そう思った妻が取った行動は、普段と同じように接することだった。日常の生活を取り戻すことで、夫が受けたショックを、少しでも早く忘れさせてあげたかった。

そして、ファンからのブーイングを覚悟して、臨んだ試合。しかし、温かく迎えてくれた。北京での悲劇を乗り越えてくれることを期待していたからだ。

翌年のシーズン開幕直後、長女が誕生。パパになった隆彦さんは、北京での悲劇を振り払うかのように、打ちまくった。

北京オリンピックの翌年のシーズン、隆彦さんは、過去最高の成績を残し、年俸も1億円を突破。温かく見守ってくれた、ファン。そして、誰よりもしっかりと支えてくれた、妻の思いに応えたのだった。

復活。誰もがそう思った。ところが、思いも寄らぬ悲劇が、この後待っていた。

突然襲い掛かった悲しい現実

北京オリンピックから3年後の2011年、2人目の子どもを妊娠した真由子さんは、4カ月検診を受けた際に、医師からこう告げられる。

「赤ちゃんの心臓が動いてないんです」

それは、何の前触れもなく、突然、襲いかかった、つらく、悲しい現実だった。現実をなかなか受け入れられず、自分を責め続けた真由子さん。何もかも、自分が悪いように思えた。

自らを責め苦しむ妻に、かける言葉を見つけられなかった隆彦さんは、自分ができることは「野球しかない」と、これまで以上に、練習に打ち込んだ。ところがこの年、隆彦さんは、極度のスランプに陥り、2軍暮らしが続いた。

ある日、隆彦さんは練習を終えた帰宅途中、突然、激しい目まいに襲われ、呼吸困難に陥る。救急車で病院に運ばれた。

もう、限界を超えていた。生まれてくるはずの子どもを亡くし、悲しみ、自らを責める真由子さんを、野球で勇気づけたかった。しかし、極度のスランプで1軍に上がれず、心はつねに苦しみの中にあった。

次ページ戦力外通告から異国の地へ。それでも野球がしたかった
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