新幹線が深めた「弘前と函館」の歴史的な縁

弘前大の学生は4人に1人が北海道出身

弘前駅から東北新幹線・新青森駅までは奥羽線で30~50分ほど、函館駅までは北海道新幹線利用で最短2時間強、乗り継ぎ時間が長いと3時間半を超えるケースもある。それでも、2006年には市や経済界で構成する「弘前市新幹線活用協議会」が、「函館との連携」方針を明示していた。なぜ、「北」に目を向けたのか。背景には、両市、さらには津軽地方と北海道との歴史的な深い縁があった。

道南地域と東北北部は、青森市・三内丸山遺跡に代表される「円筒土器文化圏」をはじめ、約1万年の縄文時代を通じて、ほぼ同じ文化圏を構成していた。青森県など4道県は、「北海道・東北を中心とした縄文遺跡群」の世界遺産登録を目指している。弥生時代以降も、社会的・文化的な境界は津軽海峡を挟んで南北に行き来しつつ、北海道と津軽とのかかわりは濃密さを増していった。

時代が下り、1807(文化4)年には、外国船の出没に伴って、弘前藩が蝦夷地警備を命じられた。道東の斜里町では、厳寒下の越冬によって藩士ら72人が命を落としている。そのつながりで、弘前市と斜里町とは2006年、友好都市となった。

青森リンゴのルーツも道南に

弘前市と函館市の交流に関する資料(筆者撮影)

函館は幕末の1859(安政6)年に開港した後、貿易拠点として、また海外文化・技術の流入地として急成長した。第1回国勢調査の1920(大正9)年時点で人口14万5843人(函館市史)と全国9位、東京以北では最大の都市で、1930(昭和5)年までその地位を保ち、青森県内にも多大な経済的、文化的影響を及ぼした。

弘前観光コンベンション協会の資料によると、国内の生産量の6割を占める青森リンゴも、技術的ルーツの1つが道南にある。リンゴ産地として知られ、函館市の北隣に位置する七飯町は、日本で最初に西洋リンゴが栽培された町だ。1868(明治元)年にプロシア(現ドイツ)人の農業指導者ガルトネルが「七飯村農場」を開設し、さまざまな果物を持ち込んだ。「青森リンゴの開祖」と呼ばれる旧弘前藩士・菊池楯衛は、職を失った士族らにリンゴ栽培を働きかけながら、1877年には同農場で接ぎ木などの栽培技術を学んでいる。

また、2013年に夏の甲子園初出場を果たした弘前学院聖愛中学高等学校はもともと、函館市のミッションスクール・遺愛女学校の分校として誕生した経緯がある。

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