故人との別れを受け入れるために必要なこと 「死化粧」を究める元看護士の漫画作家が語る
――「死」を実感できる場所、機会がどんどん少なくなっています。
小林氏:人の営みにおいて、「死」は避けて通れないものであり、生きることの延長線上にあるものとして実感することは、生きていくうえでも非常に大切なことだと思っています。
私の地元は、茨城県の行方市(なめがた)ですが、つい数十年前まで、土葬の習慣が残っていた地域でした。家で看取り、お葬式をして、お墓まで野辺の送り(葬儀後に火葬場や埋葬地まで葬列を組み、故人を送ること)をするのが当たり前でした。
ひいおばあちゃんが亡くなった時、私はまだ小さな子どもでしたが、近所の皆さんが協力して故人を送り出していた記憶がありまして、亡くなって間もないとき、「お前も触れなさい」と言われ、肌に触れました。そんな風に「生」と「死」という関係が繋がっているものとして、わりと身近に感じさせられる環境にいたと思います。
ただ、私がこのエンゼルメイクを一生のテーマに据えたのも、それ以前から作家活動として「おたんこナース」をはじめ、命の現場を題材に作品を発表し続けたのも、最初から志を抱いていたわけではありません。いくつもの偶然の出会いの賜物であり、その中で少しずつ私の心の中に積み重ねられた想いが、今の活動に繋がっていったんです。
東京に出たくて……「なんとなく」で進んだ看護の道
小林氏:私は作家活動に入る前、看護師として医療の世界に携わっていましたが、その期間はほんの数年、振り返ってみてもわずかな時間でした。ただ、そこで感じた「生」と「死」というものが、その後の私の人生にここまで影響を与えることになるとは、当時はまったく考えてもみませんでした。
高校生の頃は周りの同級生と同じように都会に憧れ、「都内の大学に進んで、将来のことはそこで考えればいいや」と考えていました。特に目標もなかった私は、そんな風に田舎でのんきに構えていたんです。
ところが大学受験が、まさかの失敗。浪人する余裕もなかった家庭でしたので、私は、そこでようやく焦り始めました。「はて、どうしよう」と。それでもどうにかして家を出る方法を考えていたのですが、そのときになぜか浮かんだのが、地元の保健師の女性おばさんの働く姿でした。そこから看護師という仕事がはじめて選択肢に上がってきた次第で、「看護師になりたい」という崇高な理念のようなものはありませんでした。