クリントン氏も、有能であることは折り紙付き。ところが、「冷たい」「ヒステリック」という印象がまとわりつくようになり、これが彼女の致命的欠陥のようにみられるようになってしまった。
さらに難しいのは、女性は「温かい」だけの印象でもダメということである。
女性らしい温かみ、優しさが行き過ぎると、弱々しさ、女々しさと考えられ、「強いリーダーシップ」のイメージには結び付かなくなるからだ。
そのため、クリントン氏は、あえて強い女性像を打ち出し、有能さを前面に立てたコミュニケーションを展開し、これが「冷たい」「ヒステリック」という評価につながってしまった。
つまり、女性リーダーは「温かすぎても、冷たすぎてもダメ」というダブルバインド(二重拘束)と呼ばれる制約の中でのコミュニケーションを強いられることになる。図のように最大と最小の許容値の間が極めて狭く、どちらかにはみ出れば、「女々しい」「ヒステリック」というレッテルを貼られてしまう。
女性は「謙虚さ」を求められている?
男性リーダーがスピーチで物腰柔らかく声をかけても、それは優しさとして肯定的にとらえられるだろうが、女性リーダーであれば「弱々しい」と受け止められる。男性リーダーが大声で叫んだり、ちょっとキレたとしても、「力強い」「情熱的」「真剣」と評価されるが、女性が同じように叫べば、それは「ヒステリック」「エラそう」と受け止められる。
米国のベストセラー作家のマルコム・グラッドウェルは「人は、女性の候補者に対して、『こう見えるべき』という思い込みを持っており、それから外れるものを受け入れられない。特に、女性は謙虚さを求められており、クリントンはリーダー層の女性が持ってはならないとされる『野心』を持っていることを咎(とが)められている」と分析した。まさに男性の「情熱」と呼ばれるものは女性にとっては「野心」に代わる。
女性はあくまで、優しく、温かく、包み込むべき存在である、という社会的期待値が根強いため、「自己主張をし、自信があり、アグレッシブ」という男性特有のリーダーシップのスタイルを踏襲しようとする女性は「過度に攻撃的」「強引」と見なされる。つまり、「怒っている」ように見える閾値が圧倒的に女性のほうが低いのだ。だから、女性が声を上げて力強く訴えようとすれば、「金切り声で」「キーキーと」などと揶揄されてしまう。人は、幼少期の母親のヒステリーを想起させる、女性の感情のこもった怒声がそもそも本能的に苦手なのかもしれない。
2011年のスタンフォード大学ビジネススクールの研究によれば、男性的な力強さを時と場合によって使い分けられる女性が最も出世するのだそうだ。男性らしさと女性らしさをカメレオンのように使い分けられる女性は、男性型の(男性的志向の強い)男性の1.5倍、女性型男性の2倍、男性型の女性の3倍、女性型の女性の1.5倍の確率で出世をしたという。つまり、適度に男前な女性リーダーが最も受け入れられやすく、評価されやすいということだ。
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