「水どう」嬉野D、7年の鬱で悟った人生哲学 楽しく生きる極意は「他人に負けてもいい」

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自分を慰めすぎたら、自らそのことに気づき、軌道修正しなければなりません。バグのまま進んでも、人生は決して面白くなりません。だって異常なんだから。

人生にゴールがあるなら早い者勝ちだろうけど…

いまを「楽しく生きる」極意とは

7年半の引きこもりを経たわたしは、ついに悩むことに飽き「面倒だからもうはげでいいや」に落ち着きました。そして、あのとき救いを求めて本を読み漁り、必死に考え抜いたことのすべてが、いまはこうしてメシの種にもなっているのです。

人生にゴールがあるなら早い者勝ちだろうけど、おそらくゴールなんてものはありません。どこまで行ったって気がつけば足元はいつも不安定。だから、あまり思い詰めず、自分をかわいそうに思いすぎず、このゆとりのある時代を楽に、ハッピーに生きてゆけばいいだけのことです。

ゴールがないなら慌てることもないのです。回り道も実は回り道なんかじゃありません。人と違う道を進んでしまったその道にも咲いている花はある。どんな花が、どんな風景の中に咲いていたか、それはその道を歩いてきたやつだけが知っている話。だったらこの世に生きてる人間の数だけ道があっていい。

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人生がどこまで続くのか。それもまたわからないから、あまり遠くは見ないようにして、近いところに目標をいくつも置いて歩くほうがいいとわたしは思います。

札幌の地下鉄の階段には、ここまで上ったら0.7キロカロリー消費とかって一段一段に書いてあります。段ごとに増えていくカロリー消費のその数字を目で追いながら上ると、小さな達成感に励まされるのか、意外に楽にホームまで上がっていけます。不思議です。でも、そんなものを頼りに進むと、目標をいくつもクリアしてきた気分がして悪くない。力のないものにはそれがいちばんの前進方法じゃないかと思うのです。

人生は一度きりです。だからといって、世間から称賛されるような立派なものである必要はない。たった一度きりの自分の人生を、限りあるそのときまで味わい尽くせばいい。しぶとく進み続ければいい。転んだら、何かをつかんでから起き上がる。他人には負けていい、でも、自分には負けない。そうやって自分の人生のルールを自分でつくる。それが楽しく生きる極意だと、私は信じています。

嬉野 雅道 ディレクター兼カメラマン

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うれしの まさみち / Masamichi Ureshino

1959年生まれ。佐賀県出身。『水曜どうでしょう』(北海道テレビ放送)のカメラ担当ディレクター。愛称・うれしー。企画・原案を担当したドラマ「ミエルヒ」(主演・安田顕)は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞。その他、エッセイ『ひらあやまり』、共著に『人生に悩む人よ 藤やん・うれしーの悩むだけ損!』(すべてKADOKAWA刊)など。

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