母が息を引き取ったのはその数カ月後。適当に自分の将来を決めている岡勇樹しか知らないままいなくなってしまった。そのことが現在の岡氏の原動力のひとつになっている。
認知症の進んだ祖父と向き合う
入社したリラクセーション会社では、入社2年目からエリアマネージャーとして3店舗の統括を任され、200人近くのスタッフを管理するなど順調に出世していった。しかし、2007年、26歳のときに退社を決意する。祖父が認知症で入院したことがきっかけだ。
「目先の仕事に手いっぱいになっていて、全然家族と向き合っていなかったと気づかされたんです」
突然入院したと思っていた母親は、子供に心配をかけないようにぎりぎりまで隠して闘病していたと後に知った。祖父に対しても同じようなことを繰り返してはいけない。当面は身を軽くして、すぐにお見舞いにいけるような生活を送ろうと腹を決めた。
音楽療法の専門学校に通うようになったのはそれから間もなくのことだ。認知症の進んだ祖父と向き合うなかで、ある音楽を流しているときだけは自分を孫として認識しているように見えると気づき、調べていくなかで、音楽を通して心身の健康を向上させる音楽療法というものが確立されていると知った。
専門学校で特に好きだった授業は実習だ。各地の福祉施設を訪問して演奏するこの授業に音楽好きの血が騒がないわけはなかった。そして、この実習で訪れた離島の障害児施設が次の転機を生む。
そこに入所している多くは子供ではなく、成人だった。両親から見放され、迎えが来ないままに施設で時間だけが過ぎた元子供たちだった。
「どうしてそんなことになるんだと、とにかく憤ったのを覚えています」
帰りの船で考えた。この捨て置かれた状況を打開するには、社会の受け皿が必要だ。社会の受け皿は、社会の大勢の人が彼ら彼女らのことを知るところからつくらなければならない。自分ができること。健常者の子供も障害者の子供も普通に触れ合えるイベントをやろう。そうすれば自然と知り合いになれる。
そうして専門学校の地下ホールでイベント「Kodomo Music & Art Festival」を主催した。そのときの運営メンバーが、卒業後に立ち上げたウブドベの核になっている。
「専門学校に入学してから常々思ってたんですけど、医療福祉の世界は閉じているというか一般化していないんですね。皆いろいろな問題を解決するためにいろいろやっているんだけど、それが一般の人たちに伝わっていかない感じがすごくあって。それならエンターテインメントとかけ合わせるのがいいんじゃないかと思ったんですよ。イベントの反響も良かったし、よしこれだなと」
祖父は亡くなったが、岡氏の進む道はここではっきりと見えた。
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