1000万円の借金を返すために、これまで自前で企画運営してきたイベント事業の受託を始めた。法人や行政にイベントを売り込むようになり、成約がとれるたびに動かす予算も増えていった。
実際、公式サイトのEventやProduceのページをたどると、2012年以降野外音楽ライブイベントのキッズスペースを運営したり、厚生労働省と介護現場職員のトークイベントを開いたりと、企画の幅も数も目に見えて増えている。
「もともとおカネ稼ぐのが上手じゃないんですけど、あの一件以来、先々のリスクを見通して事業を回していこう、ちゃんと稼ごうと意識が変わりました。大きな依頼を受けたらその分予算がもらえて、積み重ねた収益を次の事業に回して……という線が描けるようになったところがあります」
ここで辞めては絶対にならない
後押ししてくれたのは兄だ。何度も話し合った結果、「おまえの側についてやる。親父は俺から何とかするわ」と事業継続を認めてくれた。兄のコンサルタントの目を通り、事業団体としての体質は目に見えて頑強に変わったという。
1000万円の借金は減り続け、2014年初頭に完済。当時付き合いのあった「仲間」は、音響会社の舞台監督をはじめ、現在も交流が続いている。借金を返したあと、経営手腕と各事業のノウハウは鍛えられたまま残っており、人脈も段違いに広がっていた。以後もそれらの資産をフル活用したことが、指数関数的な成長へとつながっているわけだ。その頃、訪問介護と障害児者支援の仕事からも離れ、完全にウブドベ一本で活動するようになった。
兄を説得する過程で自問自答した結果、事業継続の意義は別の方向からも見つかったと振り返る。
「この法人を潰したら自分は何のために生きているのかわからない。母親や祖父にさんざん迷惑をかけて、いろんな後悔をして、その後悔を払拭するためにやってきたようなものなのに。ここで辞めては絶対にならないというのも、自分の側としてありました」
岡氏がウブドベの活動を語るとき根本にあるのはいつも知り合いだ。
母や祖父、障害児施設で出会った大人に舞台監督と、それに自分。顔の知らない「多くの人」は出てこない。公共福祉につながる取り組みをしていても、あえて「公共」を中心に据えないところがある。大上段から理想を下ろしてくる、あの好みの分かれる匂いがしない。それは意図してのことか?
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